ほぼ足りてまだ欲 その先

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日系俳優

 ジェームズ繁田が81歳でなくなったという話をRafu Shimpo(羅府新報)のFacebookで知った。そういえば名前は聞いたことがある。それも随分昔だ。彼はハワイ生まれの日系三世米国人。太平洋戦争開戦時はまだ7-8歳だったはずだが、どんな記憶をもっていたのだろうか。彼は戦後日劇に出演していたことがあって、NHK紅白歌合戦にも1957-8年の二回出演しているという。当時私は小学校3-4年生であったはずだけれど、かろうじてわが家にテレビが来たかまだかというあたりで、全然覚えていない。1958年には日劇のNDTのオーストラリア公演に同行したというのだけれど、この時期に良くまぁ、日本人による公演が豪州で行われたものだと、そこに驚く。なんたって戦争が終わってからまだ13-4年なのだから。

 ジェームズ繁田は1961年にミュージカル映画「フラワー・ドラム・ソング」に出演しているけれど、この映画で名を上げた日本人がほかにいて、それがナンシー梅木だったというのは私も覚えている。彼女は映画化される前のブロードウェイから出演していて、トニー賞のミュージカル部門最優秀女優賞にノミネートされたことがある。てっきり彼女も日系米国人だと思っていたのだけれど、今回調べてみたら彼女は1929年小樽生まれ。終戦の時には16歳で、キャンプ巡りのジャズ歌手となり、結構日本では当時活躍していたらしい。まだ小学校に入るか入らないかくらいだった私には全く縁があるわけがない。1955年に渡米してアルバムも出し、なんと1957年にマーロン・ブランド主演の映画『サヨナラ』に出演してアカデミー助演女優賞を受賞している。多分私が知ったのはこのときに日本で彼女が大々的に報道されたからだろう。名前からしてもっとバタ臭い雰囲気の人だと思っていた。その後をとんと聴かなかったけれど、2007年に他界していたそうだ。
 こうして戦後はどんどん影が薄くなる。しかし、あの時代を忘れると、またぞろ悪夢がやってくる。