ほぼ足りてまだ欲 その先

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国会

 国会が始まったのだけれど、確かに日本共産党がいうように、その開会に当たって天皇陛下が国会にやってきて紙を広げて読むのは、主権在民憲法から考えると誠におかしい。この国会は国民の意思を反映した代議員の集まりであって、そこに「象徴」に過ぎない天皇が出てくることは憲法違反のそしりを免れない。
 しかも天皇が座る「御席」は議長席場所の背面上方に位置し、普段は白いカーテンにより議場と仕切られていて、まるで玉座のようである。儀式を妙に好きこのむのが保守勢力の傾向ではあるけれど、こんなに恭しく国会を開会したって、最後は強行突破する自公連立政権なのであって、これが天皇を徹底的に愚弄しているということに彼らはなんも気がついていない。
 しかし、共産党は昨日の開会式から、「儀礼的、形式的な発言が慣例として定着した」として出席した。共産党は次の選挙で野党が勝つためには次から次に野党共闘の壁を下げてきている。彼らの努力に呼応する野党勢力の共闘を祈りたい。
 そういう観点からいえば、首相に就任するときなどの親任式や各国大使の信任状捧呈式だって、あれは必ず天皇がおこなうことになっているけれど、あれだって、考えてみたらなんで天皇がおこなうのか、理屈があっていないといえる。天皇はもはや日本の元首ではなくて「象徴」なのだから。
 こういうかたちにしているものだから、総理大臣に就任した連中が本当に国民のことを考えた政治をせずに無責任にも大企業のためだけ、高級から地元レベルの官僚のためだけの政治しか考えずにずらかろうとする。彼らにはすべての国民を背負うという意識はない。一部の特権階級とそれに生き血を吸われる奴隷どもの意識しか持ち得ていない。
 福島第一原子力発電所のその後を見たら、一目瞭然ではないか。まだ、12万とも13万人ともいわれる人たちが流浪していながら、できるといっていた「除染」を放棄し、生活支援を打ち切ろうとしているにもかかわらず東京電力は黒字なのだ。