ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 昨日の悪夢を忘れ去ろうと、今日はムキになって歩きましたよ。ところが悪い事に私には歩くと、本を買いたくなり、そしてハイカロリー外食を食べたくなると云う悪いクセがあります。今日はそんなクセをどんどんだしたって良いじゃないか!と。
 橋を渡り、清澄通りに入り、これを一路南下。本所を突っ切って、石原一丁目のところまで来たところで、錦糸町駅へ行くバスがやってきましたから、これに飛び乗ると、前に並んでいたお婆さんたちは全員シルバーパスでございます。
 錦糸町の駅まで来てどうしようかと。ここで美味しい天丼屋かなんかを見つけていたら飛び込んで食べた事でしょうねぇ。しかし、当てもなく。お、そうだ、ここは半蔵門線が通ってんだった!というので半蔵門線のプラットフォームへ。どっちへ行こうか、押上から歩いて帰ろうか・・・いやいやまだまだ!というので三越前に向かいます。この時点では、そうだ三越の地下で弁当買って帰るってのも良いかも知らんな。
 ところがエスカレーターに乗って地上へ出てしまいました。そうだ、ここなら天松はどうだい?!と思ったらいきなり4人ばかりの客が雪崩を打つように入っていくところで、いやいや、混んでいるだろうからやめておこう。
 日本橋を渡って更に南下。橋の上にはアジア人の見るからに観光客の方が三々五々橋の造りを写真にしておいでです。するとそこに、最盛期の三分の一に生息数が激減したというハシブトカラスが乗っかってやがって、生意気にも。
 更に南下。丸善に進入。買うあてはなかったのに、そうだ!ボッシュの解説本がとんぼの本の中にあるってのを見たばかりだったな。あれを手に入れてやろう!

謎解き ヒエロニムス・ボス (とんぼの本)

謎解き ヒエロニムス・ボス (とんぼの本)

 ウィッキペディア様によると、Hieronymus Boschオランダ語ではボス、ドイツ語だとボッシュと発音するんだそうで、彼はフランドルなんだからボスなんですかね?私はずっとボッシュだと自分で勝手にそう思っておりました。で、彼は今年が没後500年になるんだそうですね(前にも書いたような気がします)。なんてったって彼の絵、といっても私はあのとんでもない化け物みたいなものが次から次に出てくるあの絵の事をいっていますが、あれがどういう思想のもとで、なんのために描かれているのかという事を知りたかったのです。彼もそうですが、ブリューゲルのお父さんの作品にもなかなか意味深な絵がございます。
図説 ブリューゲル ---風景と民衆の画家 (ふくろうの本/世界の文化)

図説 ブリューゲル ---風景と民衆の画家 (ふくろうの本/世界の文化)

 と、見やると、河出書房新社のふくろうの本の中にブリューゲルを見つけてしまいました。余計な事かも知れませんが、新潮社のとんぼの本は背表紙がスッキリしていて、センスを感じるとともに探しやすいのですが、ふくろうの本は背表紙に品がありませぬ。これで大分損をしていると私は常々思っておりました。 文庫の棚を見ていると、こんなものが平置きに。ん?確か最近山田風太郎のこの種の文庫本を手にしなかったっけ?と思ったけれど、このタイトルは手にした事はなかったはずだぞ。実は小説を読まない私は彼の小説というものを手にした事はないけれど、彼の日記には興味津々なのであります。
 よもだそばに未練がありましたけれど、今日はとにかく天丼なんであります。だから一丁目の三州屋の前も未練がましくではなく、ごく悠然と通り過ぎまして、教文館へ裏から伺います。表は近頃立ち止まって写真を撮るとか、ゆっくりゆっくり徒党を組んで歩く人が多いので歩きにくいんでございますよ。
 そうそう、京橋のモンベルの入っているあの背の高いビルの裏にある河津桜が満開でございますぞ。
 すると、教文館の一階のロビーにこんなポスターが貼ってございます。アントニン・レイモンド。「アントニオ」ではなくて「アントニン」でございます。どっかで聞いた事がございますな。ん?帝国ホテルをデザインしたライトがどうのこうのと書いてございます。あ、建築設計士だった。なになに?500円と書いてあるぞ。9階のホールだって。9階にホールがあった事も知らなかったなぁ。そもそも上は貸しビルになっているんだからあがったことなんてないよ。じゃ、行ってみようと上がると、受付にお嬢さんがお二人。500円を払うと机の上に「教文館ものがたり」と題したモノクロのA4判12ページの薄っぺらいパンフレットがある。「これは戴いても良いんですか?」「ご自由に」というんで持って入ろうとしたら、お嬢さんお二人が声を揃えて「アッ!50円です!」と仰るんですよ。それが「ごじゆうに」に聞こえちゃうんですな、もう耳が遠くなっているもんですからねぇ、といいながら50円玉を取り出すこのばつの悪さ。中はほとんど写真と説明書きだけでございます。それでもレイモンド建築設計事務所の実績を見るとかなり興味が湧きます。教文館に留まらない。
 Antonin Raymond(1888年5月10日 - 1976年10月25日)はチェコ出身だけれど、アメリカ国籍を取得。ライトが先生なので帝国ホテルの建設の際に1919年に来日。以来日本にいて、独立。彼の事務所からは前川國男吉村順三ジョージ・ナカシマが生まれたというんだから、日本の建築業界に与えた影響は大きいですよ。非常に外国人に対する状況が悪くなってアメリカへ帰る。その間、例の日本空襲の効率的爆撃検証のためにユタ州で日本家屋を建ててその爆撃効果検証をやった事は有名で、彼はそれを担当したわけです。これで開発されたのが、後のナパーム弾、焼夷弾でございます。つまり、日本空爆の片棒を担いだわけで、それをからは自伝の中に「早く戦争を終わらせるために」としているんだってんですな。今の、まさにこの時代ではネット右翼の攻撃を受けて炎上しちゃうってところですかね。
 レイモンド事務所の仕事としては東京女子大総合計画とか、聖心女子学院修道院および教室、現 ノートルダム清心女子大学本館・東棟、前のアメリカ大使館、前のヤマハホールICUの図書館本館、立教新座の高校の校舎、チャペル等々ありますが、かなりもうなくなっています。聖路加も最初はレイモンド事務所だったようですが、装飾があまりにもない事で揉めて途中で解雇されたんだそうです。この展示ではさすがに「解雇された」とは書いてありませんけれど。
 ウィッキペディア様には「アントニン・レーモンド、ヤン・ヨセフ・スワガー、ベドジフ・フォイエルシュタインの3名のチェコ人建築家によって設計が進められたネオ・ゴシック様式の建物で、途中で設計者がJ.V.W.バーガミニー(John van Wie Bergamini 1888年-1975年)アメリカ人でミッション系の建築家)に変更されている。 創立者トイスラーの出身地であるボストンのマサチューセッツ総合病院をイメージしてデザインされた」としてございます。
 J.V.W.バーガミニーってのもどこかで聴いた事があるなぁと思ったら、今はもうすっかり一棟も残っていない立教大学池袋キャンパスに昔数棟あった宣教師館を設計した人ですね。どうもこの人は日本聖公会の関連施設をいくつも手がけているようで、なんか関係あるんですかね?
 ところでこの展示会なんですが、ポスターの一番下に協力として都立大崎高校の名前がクレジットされているんです。こりゃ一体何だろうと思って帰りがけにお二人のお嬢さんにお伺いしたら「大崎高校にはペーパージオラマ部というのがあってとっても有名なんです。で、かつての教文館ビルをペーパークラフトで再現していただいたんです」というのですよ。確かに巧く作られている模型が展示してございました。それにしても今の高校には面白い事をしている生徒さんがいるものでございますなぁ。pdfですが、こちらに。この2月16日にはフジテレビの朝のワイドショーで取り上げられたんだそうです。フジ産経系は滅多に見ないので知りませんでした。
 さて下まで階段を降りながら、所々を写真にしました。なにしろこのビルの中をちゃんと見るという事がほとんどありませんでしたからね。
 キリスト教関係図書売り場に来てみると、こんな本を見つけてしまいました。 聖公会出版から出ていますが、京都にあるウィリアムス神学館の授業を本にしたものだそうです。こりゃ便利だ。
 天國を覗くと、一杯で人が待っているくらい。あれまと外に出て新橋に向かうと、この辺も土地が上げられていて(最近そういう表現を聴きませぬが)何が何だかわからない。信号へ向かおうと角を曲がると、そこにトタンの波板でできたと覚しき建物。廃屋と思ったら入り口と覚しきところにスペインの旗が掛かっていて、なんでも「バル・ビェン」という呑み屋になっているんだそうです。そういえばうちの近所にも「ホントにここが呑み屋なの?」というような、今にも潰れそうな建物のバーがありますね。知らなきゃ入れないよ。私は人に連れて行って貰ったから入れるけれど。
 新橋でも触手の動く食い物屋に遭遇せず、結局天國に帰ってきて、ランチ天丼を注文。そういえば前回ここに来たとき(それがいつかもう完全に忘れているけれど)もこれを頼みましたね。さすがにここまでは外国人の観光客は入ってこないねぇ。静かに落ち着いて、戴く事ができました。で、心に決めたんです、ここまで歩いたんだから、京橋まで歩こうって。
 で、その途上、ふと気がつくと、あの甘味処の立田野がない。サエグサはあるけれど、隣に建っていたはずの立田野は訳のわからないジュエリーショップになっちゃっています!「銀座立田野」が銀座に店がない!いったい何時なくなっちまったの!?私が小学校低学年の時に生まれて初めて食べた「オレンジ・シャーベット」のあの立田野がない。がっくりきてしまった。
 あれは私がまだ小学校の低学年の頃のことだと思うのだけれど、一体全体何があったのか、まったく記憶がないのだけれど、よそ行きの格好をして出かけた先が銀座の立田野だったのだ。当時横浜の東横線反町に暮らしていたわが家からしたら、よそ行きといったら、伊勢佐木町の野沢屋デパートの食堂で昼ご飯を食べるという奴だったくらいで、至上の喜びはあそこのソフトクリームだったのだ。
 それが何を間違ったのか、立田野だ!しかも食べたのはオレンジの中身をくりぬいて、その中に入っていたオレンジのシャーベットだったのだから、とんでもない出来事だった。あれがシャーベット初体験という奴だ。ピザに至ってはそれからまだまだ6年ほど後まで待たなくてはならないのだ。
 銀座4丁目の日産ビルの工事現場の囲いに昔の銀座の地図ってものが張ってあった。これが実際いつ頃のものなのかという点が曖昧なんだけれど、タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)の名前がクレジットされている。この地図を見た時に思わず「アッ!」と小躍りをしたのだ。というのはこれまで「天金」のあった場所がどこだったのか、さっぱり想い出せず、しかもネットで検索しても地図らしきものが出てこない。元々は今の中央通りと晴海通りの角、服部時計店の時計台のある、あの有名なビルが建っているところにあったらしい。服部に裁判で負けてよそへ行ったとかいてあるところだってある。私が50年前に入って天麩羅茶漬けを食ったのはもうちょっと数寄屋橋寄りの5丁目側だった記憶なんである。で、ここに貼ってあった地図を大きくしてみると、それがちゃんと書いてある。西五番街の通り。並木通りの藤小西という酒屋と背中合わせの位置に「天金」と大きく書いてある。なんだ、そんなところだったのか。それなら私の記憶とかなり一致する。
 本日15,219歩。