ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

バスは空いている

 隣の区の図書館へ。バスはどれも空いていて拍子抜けだった。いつも必ず乗っている外国人観光客がいない。暑いからかなぁ。
うちの区の図書館にはないけれど、隣の区の図書館にはあった、「横浜ノスタルジア」を借りる。

 これは別に横浜に限ったことではないだろうけれど、小学校低学年の頃日野ルノー4CVのタクシーは初乗り40円だったことは忘れない。ダットサンのタクシーは60円だったかも知れない。こっちは不確かだ。
 当時20貫あるといっていたわが父親といっしょによくこの小さな車に乗ったもんだと今更ながら驚く。小さいながらも4ドアだったから可能だったんだろう。伊勢佐木町からはどうだったか記憶にないけれど、当時時間を制限して開いていた横浜駅の西口からだと、栗田谷のわが家までだったら1.6kmくらいだから、ワンメーターで行けたんじゃないかという気がする。ワンメーターの距離が今ほど短くなかったからだろう。今の東京だと初乗りワンメーターではわずか1kmちょっとだ。


 伊勢佐木町にあった不二家はかなりあとまで占領軍に接収されていたようだ。新聞記事によると返還されたのは1958年だという。つまり私が横浜を留守にしていた時期に当たる。この建物はアントニン・レーモンドの設計だそうだ。今更いうこともないけれど、彼はチェコ人だけれど、フランク・ロイド・ライトの弟子で、教文館や東女の協会なんかを設計している。残念ながらこの建物は解体されることになった。

 日曜日にたまさか親父が休みだと、楽しみは桜木町の駅から接収されてバラ線や板塀で囲まれた接収地の間を歩いて伊勢佐木町へいった。野沢屋というデパートの大食堂で食べるソフトクリームが楽しみだった。そんな時不二家の前を通りかかると、二階のガラス張りのむこうに米軍の将校が新聞を広げているのが見えていた。

 バスで御徒町へ出たついでにQBに寄ろうと思ったら一軒は先月末で閉店していて、もう一軒は火曜日が定休日だという。QBに休みがあるとは知らなかった。




 不忍池の蓮の花はかろうじてまだポツポツと咲き残っていた。人は殆ど歩いていない。暑いからね。