新聞や放送のことを社会の公器といった時代がありました。そういえばそんなことはもう言わなくなりましたよねぇ。なんでそんなことになったのかと思うのですが、いったいいつからそんなことを言わなくなったのか、はっきりとした意識をしたことはありませんねぇ。
いわゆる保守派の言論に対抗してきたのは毎日新聞、朝日新聞だったといって良かったのですが、では保守派の言論を後押ししてきたのは何かといったら読売新聞でしたよねぇ。かつては日本の全国紙として朝毎読といってこの三紙を全国紙といっていました。これさえ読んでおけば大丈夫だったわけです。これに日経新聞が追いついてきましたが、かつては「少年探偵団」と揶揄されていました。記者の平均年齢が俄然若かったからです。日経は大企業を中心としたいわゆる財界に取り入って伸びてきました。つまり、企業情報に特化していたからですね。金融新聞やら日経産業新聞なんてのまで手を出し、次に雑誌系に手を出し、それを頻繁に創刊廃刊をして生き残れるものだけに絞ってきました。
そうこうしているうちに朝日、毎日が右翼勢力の目の敵にされてぼろぼろにされていきます。福島第一原発の事件をきっかけに右翼勢力は民主党を落とし、朝日のイメージをたたき落としてきました。今や朝日は信頼感を失い、毎日も「日本会議」勢力が台頭するのと入れ替わりに力を失ってきました。
一方、原発振興にひとかたならぬ力を尽くした読売はその過去を指摘されながらも東京ジャイアンツの支持勢力にも支えられてその中身のお粗末さの割には生きながらえています。
恐ろしいのは今や公器という名称がとてもふさわしいとはいえない産経新聞でしょうか。なにしろ憶測でなんでも書いちゃって良い状態になっているようなものが公器なわけがありません。ここまで来ると東京スポーツの方がまだマシに見えてきます。自民党には自民新報という政党よいしょ機関誌があります。これはなにがなんでも自民党万歳!エラいぞ!すごいぞ!記事に偏っていて良いわけです。しかし、それを遙かに上回るようなものになってしまっています。
これに近づいているのがNHKのニュースです。毎回聴いていても、見ていても、今日のニュースの順番として、これはおかしいだろう!?というようなニュース番組になってしまっています。重要性の価値観が明らかに政府見解とそろってしまっています。むしろヘイトチャンネルの桜チャンネルに近づいています。クローズアップ現代から国谷裕子を追い出してしまったNHKはもうすでに自民党チャンネル化しているといって良いかと思います。
新聞、放送を公器といわなくなった、いえなくなってしまった社会はかなり危険水域に突入しているといって良いといえます。