NFLでは国歌斉唱の時に誰かしらアフリカ系のプレイヤーが膝をつくか、ベンチに座って起立しないという場面が普通になりました。アメリカの国歌は「星条旗よ永遠なれ(The Star-Spangled Banner)」というタイトルで知られています。
- Oh, say! can you see by the dawn's early light
- What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming;
- Whose broad stripes and bright stars, through the perilous fight,
- O'er the ramparts we watched were so gallantly streaming?
- And the rocket's red glare, the bombs bursting in air,
- Gave proof through the night that our flag was still there:
- Oh, say! does that star-spangled banner yet wave
- O'er the land of the free and the home of the brave?
ほとんどこのワンコーラスが歌われるだけです。しかし、知らなかったのですが、この歌はまだまだ続くんですね。四番まであるようです。
- On the shore, dimly seen through the mists of the deep,
- Where the foe's haughty host in dread silence reposes,
- What is that which the breeze, o'er the towering steep,
- As it fitfully blows, half conceals, half discloses?
- Now it catches the gleam of the morning's first beam,
- In fully glory reflected now shines in the stream:
- 'Tis the star-spangled banner! Oh, long may it wave
- O'er the land of the free and the home of the brave!
- And where is that band who so vauntingly swore
- That the havoc of war and the battle's confusion
- A home and a country should leave us no more?
- Their blood has washed out their foul footsteps' pollution!
- No refuge could save the hireling and slave
- From the terror of flight or the gloom of the grave:
- And the star-spangled banner in triumph doth wave
- O'er the land of the free and the home of the brave.
- Oh, thus be it ever, when freemen shall stand
- Between their loved home and the war's desolation!
- Blest with victory and peace, may the heav'n-rescued land
- Praise the Power that hath made and preserved us a nation!
- Then conquer we must, when our cause it is just,
- And this be our motto: "In God is our trust":
- And the star-spangled banner in triumph shall wave
- O'er the land of the free and the home of the brave.
なんたって、「オイ、あの旗が見えるか!」から始まるわけで、国歌としては甚だかわってんなぁと思うわけですが、米英戦争の時にイギリス軍に捕虜として囚われていたウィリアム・ビーンズ博士の釈放交渉がボルティモアのイギリスの軍艦内で行われ、博士の釈放が認められたものの、マクヘンリー砦への英軍の艦砲砲撃が止むまで、二人は軍艦内で抑留される事となった。砲撃が止んだのは1814年9月14日の朝のこと。25時間にも及ぶ1,500発以上の砲弾にも関わらず、マクヘンリー砦の上には、星15個、縞15本が表わされた特大サイズのアメリカの国旗・星条旗が翻っていた。この時にアメリカ人弁護士、フランシス・スコット・キーが書いたのがこの詩だってことで、どうだ、英軍の攻撃にもかかわらず、わが星条旗がたなびいているぞ!というのがこの国歌でございますよ。一番の歌詞にrocketがでてきますが、だからトランプが金正恩をロケット・マント呼んでいるわけではないでしょうが、当時英軍がぶっ飛ばしていた射程距離の長いロケット弾だったんだそうですよ。ずいぶん血なまぐそうございますなぁ。
この唄の他に「America, The Beautiful」という唄がございます。この唄は途中で「アメリカ!アメリカ!」と叫ぶところがございますのでねぇ、実に鼓舞してくれる唄でございますよ。しかし、これとて、詩の中に出てくるのは神様が出てくるわけでございましてねぇ、これは当然キリスト教でいうところの「主」でございますから仏教徒やら無宗教ものにとってはなんのこっちゃねんでございますなぁ。
もうひとつは「God Bless America」という唄もございます。なんたってタイトルが「神のご加護がアメリカにありますように!」でございますから、キリスト教がベースにあるわけでございます。あっちの山からこっちの平原まで、神のご加護がありますように!という唄です。ロシア系移民『ホワイト・クリスマス』で知られるアーヴィング・バーリンが作った曲だそうで、Kate Smithの唄で有名になったんだそうです。1938年の放送で初めて流れた録音をYouTubeで聴くことが出来ます。どうやら当時はこの唄にverseがついていたようでございます。
1960年代、時はベトナム戦争の頃、時として起きたプロテストソングの世界では「This Land Is Your Land」という歌が数多く歌われたことを想い出しますな。戦意高揚、ナショナリズムの象徴的な唄となった「God Bless America」に対抗してずいぶん唄われたWoodie Guthrieの唄です。学生運動の出物中でも良く唄われた記憶がございます。アメリカかぶれといわれればそうですが、なにしろ私たちの世代はアメリカほど光り輝いていた国はなかったんでございますよ、良い意味でも悪い意味でも。
私たちの国にはこの種の唄がありませんねぇ。かろうじて「ふるさと」がそれに近いかも知れないという気がします。なぜかというと、この唄を歌うと私は途中で言葉に詰まって唄えなくなってしまうのです。多分日本人の琴線に触れる唄なんでしょうか。
アメリカ国歌は今、現実に直面しています。アメリカという国の人種差別がどこまでも続く限り、こうした抗議行動はやまないことでしょう。日本でも人種差別主義者が日の丸や旭日旗を振り回し、手垢で汚しています。
ところで、豪州の国歌というのはほとんどの日本人には知られていないと思うのですが、「Advance Australia Fair」というタイトルです。この最後の「Fair」がどう聞いていても「フェアー」と日本語発音のように聞こえるんですよねぇ。「俺たちって恵まれてんだぜぇ〜!」みたいな歌詞で羨ましいものがあるんですが、さすがに歴史的にアメリカ国歌なんかに比べると新しいだけあって(歌いにくい歌詞ですが)唄っているとテンションが上がってきます。
第二のオーストラリア国歌というか、オージーの愛唱歌といったらそれはもちろん「ウォルティング・マチルダ」という曲ですね。しかし、この曲、歌詞がよろしくない。誰と旅に出ようかなぁ、といっているところに羊が来たから袋に入れて、さぁ旅だというところへ、警官がやってきたぞと唄います。愛唱歌であって第二の国歌とはいえないでしょう。それにふさわしい曲といったら、航空会社のQANTASが作ったコマーシャルソングじゃないですかね。ちなみにこのQANTASという名前、「Queensland and Northern Territory Aerial Services Ltd」から来ていて、日本で普通に呼ばれている「カンタス」ではなくてほぼ「クォンタス」と発音されています。
で、そのQANTASが三百万円をかけて1998年に作ったというのが「I Still Call Australia Home」というコマーシャルなんですね。これが実に感動させるできあがりで、一気にみんな気に入ってしまいました。さすがに航空会社のコマソンだけあって、「あちこち旅行したけれど、やっぱオーストラリアは私の故郷だわ!」という中身で、豪州が好きな人にとっては「お、これだ!」とすぐさま好きになってしまう曲に仕上がっています。しかし、どうもこの曲そのものは1980年にPeter Allenという人が作ったんだそうです。彼は残念ながら1992年、QANTASがこの曲を採用する前に他界してしまいました。