定番になっている得意な話っていうのがあって、多分このメンバーだったらこれまでに話したことがないだろうと、酔っ払ってすると「あぁ、それ、何度も聞いていますよ!」といわれることがままあるんです。それくらい話題に事欠いているってことなんですかねぇ。
こんなのです。小学生低学年、といっても3年生か4年生になったばっかりの頃でしょうか。友達と野球をすることになっていて、当時、キャッチャーミット(といっても今から考えたら古めかしい、豚革のもの)を持っていた私は、お年玉になんと子供用のキャッチャーマスクを買ってもらったんですよ。なんでそんなものが欲しかったのかといったら、野球はヘタックソだったから、なんとかして目立つ方法を探っていたんでしょうね。学校の運動着ってのはまんま野球のユニフォームみたいだったんで、その背中に、布を切って「23」番の番号にして、縫い付けていました。オヤジの古くなったソックスを貰って、そのつま先と踵を切って野球のストッキングだといって、ちょっと見、それらしく見えるわけです。ガキの頃から格好からはいる奴だったわけです。またいいますが、野球はヘタックソだったのに。
で、その格好で広場に向かって歩いていたんです。するとそこへ二人乗りしたスクーターが通りかかって「坊や達!野球に行くのかい?」って訊くんです。「そうだよ!」というと、撮影に協力してくれないかというのです。おいおい、今だったら渋谷のセンター街かなんかでナンパの手段に使われていそうな古典的な手法とかいっちゃいそうですが、1955年くらいの話です。で、もうひとりそんなユニフォーム持っている子はいない?って訊きます。お、ユニフォームと認識されたんだ!で、友達のひとりのところへ行って訳を話し、彼も引っ張って、約束した中学校のグランドに行きました。するとさっきのふたりに加えて映画カメラをかまえた人がいました。で、ふたりのうちのひとりがボールを投げるからそれを打って、キミがキャッチャーをやってくれないかというわけです。
大人が投げる球です。その友達、空振りをします。というか、空振りをしろといったのかなぁ。実はそんなちゃんとした状態でキャッチャやらないです、当時の私たち。何しろなんちゃってキャッチャーなんですから。無我夢中でとりました、ストライクです!それを3-4回やったと思うんです。それで、百円を貰って終わりました。当時の百円は凄いです。さいころキャラメルだったら20個買えちゃったんじゃないでしょうか。私はそれで軟球を買いました。後日連絡が来て、テレビである保健薬のコマーシャルが流れました。「ボクも元気だ!」みたいなナレーション。おとうさんも、おかあさんもこれで元気!みたいな薬の宣伝でした。
これが私が人生で最初で最後のコマーシャル出演です。これが百回噺のひとつです。