ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

百回噺 その2

 近頃、民間企業のストライキなんて全く聞いたことがありませんね。昔は国鉄も組合がいくつもあって、ストライキもあったけど、それは違法だといって処分されちゃうので、順法闘争なんてのをやってましたね。決められた通りの手順を踏んで電車を走らせると、どんどん遅れてっちゃって、軒並みラッシュ時の電車が遅れちゃうの。炭鉱会社なんかで第一組合と、経営者側が組織した第二組合と労働者が分断されちゃって長引く闘争、なんて普通にありました。戦後はGHQによって、組合闘争が公正に許されたので、大いに労働運動が盛り上がりました。戦後四半世紀も経っていたのに、私が企業に入ったときはちゃんと組合に闘争資金の積み立てをやってました。だから、非組合員になったときに組合からこの積み立てが返却されたので、これ幸いにと呑んじゃいました。(今初めて白状)。

 私がまだ小学校に上がる前ですからGHQの占領が終わって朝鮮戦争で特需で忙しくなったくらいの時期は、そういう点でなかなか荒々しい時代で、現場で職長みたいな役割だった父親はやっぱり経営者側と思われていたらしくて、結構やり玉に挙がっていたらしいのです。もちろん私なんぞはできたばかりの幼稚園なんかでチャンバラごっこに精を出していた頃です。
 
 ある日、わが家のポストに脅迫状が投げ込まれていたのです。じゃぁ〜ン!


ダイヤル110番
(日本テレビ 「ダイヤル110番」)

 私は現物を見たことはないんですが「お前んとこの子どもを誘拐してやる」という中身だったらしいです。なにしろラジオのニュースでこの脅迫状のことを報じたのを聴いた記憶があります。今から考えてみたら、こんなサラリーマンの現場のオヤジを脅かしてどうしようと思ったんですかねぇ。トニー谷の長男が誘拐された事件よりも前のことです。吉展ちゃん事件の遙か前です。で、どうしたのかといったら、会社から警備員のお兄さんが交代できてくれていたのです。私はその人が迎えに来るまで幼稚園から帰れない。この人は私を迎えに来てから、小学校に姉を迎えに行くわけです。その間時間があります。すると私を連れたまま、パチンコやったりしてました。いったいどれくらいの期間だったのか、全く記憶がないのですが、何日間かは、確実に迎えに来ていました。結局なんちゅうことも起きなかったのでしょう。でも、何をきっかけにしてそれを中止したんですかねぇ。当時の会社ってのが如何に家族的な思想の会社だったのかというのが推察されるような話です。そういえば、職場全員の家族がうちそろってバスで遠足に行ったり、社宅で、親たちが幹事になって広場で運動会をやったりした記憶があります。引っ越しだといったら、みんな総出で荷物を運んでいました。正月といったら、職場の家族がみんなで集まって大宴会をやっていました。そんなところに獅子舞が来たり、それはそれは賑やかな正月でした。本当に娯楽がなかったんですよねぇ。

 という百回噺です。