昔はクラッシック音楽全般について全く興味がありませんでした。なにしろ生まれて初めて買ったレコードが「映画独立愚連隊」のテーマで、あ、いや、あれはソノシートだったでしょうか、ブラザーズ・フォアのGreenfieldsだったかも知れません。それから一気にThe Beatlesに邁進ですから、そこから先は推して知るべしで、脇の方でチラチラとJazzと落語に手を出しながら、ロックに染まっていきました。しかし、それも社会人になると同時に、縁が遠くなり、なんたってレコード屋に新譜を探しに行っても「二枚入ったけれど、なんとかちゃんとなんとかちゃんが買ってしまったからもうないんだ」というんで手に入らない状態という田舎でしたから音源はラジオばかり。当時田舎ではNHKしかFMはありませんが、そのラジオが四六時中クラッシックなのが甚だ不満でございました。
当時は(1970年代前半です)職場でブラスバンドができて、下手なりにパーカッションのお手伝いをしておりました。呑み会に行くために参加していたようなものです。
クラッシックを忌み嫌っていたのはいったいなぜだろうかと不思議でしたが、理由としては、迫力がないなぁ、とか、毎回同じ演奏なんだろ?個人のインプロビゼーションもないんだろ、というようなものだったんですが、本当の理由は多分高校の入試にあったんだと思います。
なんでやねん!ということになりますが、私たちの頃の都立高校の入試といったらなんと九科目あったんです。英数国社理だけじゃない!美術、音楽、技術家庭、そして保健体育です。だから今でも、台所でジャガイモの皮をむくときに「あ、芽は取らないとね、青酸でどくになるからね」と想い出したりします。ちゃんと中学校の教育が役に立っていますね。ところがこの音楽の問題っていうのが、例えば、次の五つの曲名と該当する譜面とを結びなさい、なんて奴で、譜面が読めない私は(今でこそ譜面を頼りに唄うことが細々とできるようになりましたけれど)この音楽の試験が大嫌いでした。なんで読めるようにならなかったんだろう・・・・。小学校の頃から大きな声で歌うのは大好きだったし、他の人がどうして大きな声で歌うことができないのか不思議でしょうがありませんでした。そういえば発声の練習なんて小中高でやりましたっけ?
当時の都立高校の試験の解答というのが翌日の新聞に載りました。私たちは問題用紙を持って帰ってきて、学校に行って答合わせをしました。それで音楽の点数がネックになって、志望校の合格ラインに数点足りないぞ、というのがわかったんです。数点足りないというのは莫大な受験生数になるわけで、ものの見事に落っこちていました。中学の先生とどうするかという相談をしました。私立には一つ受かっていましたから、そこへ行くという選択肢はあるのですが、その高校はできたばかりでその先のことはわからないどころか、うちから電車を乗り継いで1時間半は通学にかかろうというところにあります。
自分の気持ちが収まらず、高校浪人辞せずみたいな気持ちでおりましたが、学区全体の定員数の中には入っていましたから(アナログでそんな順位付けをしていたんですから、当時の入試管理は大変でしたよねぇ)、どこかの都立にはいけるんだということでした。そんなところ、行ったってしょうがねぇやと思っていたんですが、ここで一年遅れをとるのはどうよ?ということで元高等女学校に進学します。だから、音楽理論なんて知ったこっちゃねぇよ、ベートーベンもショパンもねぇよ!とクラッシック音楽全般に反発を強めていたのであります。(話が長いぜ、とっちゃん!)
で、そんな奴がどうしてオペラを聴くきっかけとなったのか!それがYouTubeなんでございます、ジャカジャン!
L'elisir d'amore (2005) - 15 - Una furtiva lacrima
ある日、何がどうしたのか、偶々「愛の妙薬」というなんだか田舎っぽい、大時代かかったタイトルのオペラのアリアを(あれ?アリアってどういう意味なんだろう?)YouTubeでみたら、テノールの眉毛の濃い男が気持ちよさそうに唄っていたんです。その歌い上げっぷりが実に見事で、すげぇな、と思っていたら、聴衆の拍手鳴り止まず!指揮者も困惑、テノールもどうして良いかわからないっぽい!すると指揮者が人差し指を突き出して「もう一度!」とやります。なんと同じ歌をもう一度演奏して、テノールは唄いました。それがメキシコ人のRoland Villazonという歌手の「Una furtiva lacrima」だったんです。これが超有名な曲だなんてことも知らず、その時の相手役のソプラノがAnna Netrebkoだなんてことも知らずに。クレジットを読むと、2005年ウィーンの国立での録音だったんですね。
そこからが暴挙!その年(2013年)に彼がスペイン・バルセロナのリセウ大劇場(Gran Teatro del Liceu)でこの演目に出演すると知ったんです。矢も楯もたまらず、この切符をネットで買ってしまいました。それも二日分。熱に浮かされたようなものです。バルセロナにはそれっきり。でもおかげでガウディーも誰かさんの別荘までも見てきました。
それ以来、少し、ほんの少し、オペラを聴くようになりました。高校入試に呪われた私のクラッシックは半世紀を超えてようやく解かれたといっても過言ではありません。(随分と大げさ!)