ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

対談

 今朝、NHK-BSで女子フィギュアの陰に隠れて横山大観の番組をやっていて、そこに半藤一利が出てきて語っていた。あの人はいつまで経っても老けないねぇ、といっていたら、そのテレビは2004年の放送番組だったというので、そりゃ老けなくて当たり前だと、笑った。
 半藤は1930年5月向島の生まれだから、戦争に負けた時は14歳だったということになる。そして、保阪正康は1939年12月、北海道八雲の生まれで、終戦時はまだ5歳。何度も彼もいうが、進駐してきた米軍兵士から貰ったお菓子を父親が取り上げて投げ捨てた記憶があるという。彼の父親は数学の教師で、八雲には軍の飛行場があった。
 これまでもこのふたりの鼎談を出版したものがいくらもあるけれど、今年の1月に行ったふたりの座談が東京新聞で今連載されている。20日が第一回で、今日が第四回になっていてこれでひとまず終わり。このふたりは良く東京新聞で座談をしており、これがその後、どこかから刊行されるというルートを辿る。だからこのふたりの考えはよく読むことができる。そのうえ、保阪正康は新宿で二週間に一回これらを話す。今月は明治以降の天皇制を起承転結で語り、この発想はどこから出てきたのかという点に興味を覚えたが、この連載の中でも語っている。この新宿のトークで主に語られることは後に必ず活字になるから確認することができるのだけれど、ここでの彼の話で面白いのは「ちょっと雑談になるのですが・・」といって口を開く、安倍晋三批判だったり、他者への論評だったりする。
 一番気になるのが前にも書いたけれど、あとからやってきた若い研究者や、今頃気がついたのかという著者に対する批判なのだ。わたしは誰が最初にそれを見つけたのか、というのは確実に明らかにしなくてはならないとは思うけれど、後から後から、波状攻撃のように先行研究、先行出版を捕まえて切り口を変えて伝え続けることが必要なんだと思う。それが歴史を伝え続けることに大いに役立つと思っている。確かに、ひとつの歴史的、あるいは人類学的研究を進めていくと、これか!と思うようなテーマに出逢ってみたものの、それを取り上げている人が既にいて、あぁ、これ以上掘るのはもうやめようかと思うことがある。そして、しばらく経って、意外とこれが浸透していないことに気がついたりする。
 えっ!これは知られていないじゃないかと思った時に、あぁ、やっぱり切り口を変えて伝えることは必要じゃないか、と思いがいたることがあるのだ。
 保阪が口を酸っぱくして、日本の軍隊には思想がない、軍事学のなんたるかを持っていないという。プロイセン軍事学をただ真似ただけで列強の一角だと思い込んでいた。森本あんりが言う「反知性主義」そのものの低レベルである。下手をするとポル・ポトに近い。文革ならぬ、軍革か。愚劣な社会だった。それを愚劣としての認識が未だにできない。私たちのこの国はひょっとするとこの流れから未だに脱却できずにいる。自衛隊は災害救助隊として、思想を持つべきだろう。さもなくば、歴史は繰り返す。