ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

p.81

半藤利一:熱河作戦の部分でも論じましたが、(天皇は)統帥権は持っているように見えても、本当は行使できていない。
磯田道史:(天皇は、軍部が)自分たちを正当化するための壁なんです。そこに向かってやりたいことを叫んでおけば、その名の下でどんなひどいことでも国民に強いることができる。ごく偶にご神体から反対の声が聞こえてくるけれども、もう一回同じことを叫べば、結局、許して貰える。

 当時、軍部はなんでもかんでも天皇のご意志ってことで強行してきた。今では何でもかんでも自公両党が決めたからといってごり押しができちゃっていて、挙げ句にマスコミがなんの反対もしない。歯止めが何にもない。結果的には同じかも知れないけれど、この差は結構でかい。挙げ句にそれを国民が甘んじて受けるだけでなくて、選挙に行かない、あるいは同調するということで無抵抗のまんまだ。
p.103

保阪:ですから、昭和初期から二十年までは、まさに昭和天皇が「大元帥」と「天皇」であった時代です。

 そうか!軍人の顔と天皇の顔の二つを使い分けなくてはならなかったのか。
p.107
 本庄日記はアリバイ工作。

保阪:最近、当時の憲兵司令官代行・矢野機(はかる)少将による「戒厳機密日誌」が発見されましたが、そのとき『本庄日記』と突き合わせてみたのですよ。そうしたら、本庄が憲兵隊へ連絡した時間が、『本庄日記』とは異なっていた。事件発生を知った本庄が直ちに岩佐禄郎憲兵司令官に電話をしていたなら、渡辺錠太觔教育総監は決起将校の襲撃前に難を逃れられたはずです。
『実録』を読んで私は、いよいよ『本庄日記』はアリバイ工作のために書かれたという思いを強くしました。