ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 さて、どっち方面に出かけようかと悩みながら家を出て、都営地下鉄の駅にエレベーターで入れるところまで歩く。とちゅうで八重桜の満開に遭遇する。この駅は地上から改札階まで降りるエレベーターがたったひとつしかない。そんなのは東京では当たり前だ、といわれるかも知れないけれど、これだけ乗降客が多くて、出口が拡がり、中の構造が複雑で、乗降客中に占める観光客の割合の高い駅にしては、驚くほど設備が貧弱だ。今では外国からの観光客がほぼゼロだからまだ助かるけれど、彼等がいた時期には多くの観光客が20kgほどのスーツケースを、建物でいえば3-4階分ほどを階段で運んで苦しんでいるのを見てきた。気がついた時には、彼等にエレベーターの場所を教えてきたけれど、実にわかりにくいところにある。
 もうひとつ東京の地下鉄で許しがたいのは、エスカレーターがあっても、最後の部分が階段だけだというポイントがとても多いということだ。自分が元気で階段なにするものの頃は気がつくこともなかったけれど、今になると、このフェイクがとても多い。今や文句たらたらである。東京都知事は車を使わずに東京都公営交通機関のみを使って移動することにするべきだと思う。そうすれば恐れおののいて、立候補者が若返るという効果も得られよう。石原慎太郎なんか、絶対に立候補しなかっただろう。これは、意外に良いアイディアかも知れないな。
 これまで控えに控えてきた書店行きを決行する。すると丸善の二階へ上がるやいなや、保阪正康の新著を見つけてしまう。この時期に石橋湛山か、という気がしないでもないが、保阪らしい取り上げ方だろうと、期待したい。湛山には岩波の「湛山回想」という文庫がある。
 もうひとつは、(週刊新潮自民党べったりに抗議の意味で)ほとんど買う機会が無い新潮新書が、かつて同社が出版していた季刊雑誌の「考える人」で取り上げたこのテーマの号から、新書を今になってひねり出したんだそうだ。別に買う必要もないのに、「考える人」ファンとしては入手する義理を感じた。

石橋湛山の65日

石橋湛山の65日

はじめて読む聖書 (新潮新書)

はじめて読む聖書 (新潮新書)

f:id:nsw2072:20210407013240j:plain:w240:left 三越まで行って、地下の辨松売り場で「並かし七(これはなんと読むのか)のおかずだけを買う。日頃は(といってもここのところもうずいぶん買っていないが)「並六(なみろく)」をご飯付きで買うが、こっちはお高いのでご飯は我慢する。昔ながらの濃い味に煮てあるので、つれあいは分けなくて良いという。あんただって、検査の数値が良いわけではないんだから、いい加減にしなさいよと、戒められる。塩分をそろそろ控えなさいといわれている。ひとつひとつの部材の質が良いので、噛みしめ噛みしめ美味しい。実に美味しい。
 帰りの電車の中で、ふたつあいた向こうに座っていた爺さんがくしゃみをした。マスクをしていたって、くしゃみする時は覆ってやれよ、お前は!と心の中で大声で言う。

f:id:nsw2072:20210407013736j:plain:w120:right 日本橋丸善が挟んでくれた栞がこれ。ひっくり返すと「webサイトオープン!座禅のすすめ!曹洞宗」と書いてある。いったいなにやらん?曹洞宗のキャンペーンなのか。丸善曹洞宗なのか?謎である。ちなみに曹洞宗を「そうとうしゅう」と読むとは知らなかった。今までずっと「そうどうしゅう」といっていた。