ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

図書館廃棄本

 昨年まで地元の図書館は廃棄本をご自由にお持ち下さいだったのだけれども、今年から一冊10円ということにして社協にそのお金が行くことにしたんだそうだ。昨年までは本をその場に持ってくる人がいただけだったのだけれど、今年はレジ掛が必要になった。あの人たちはボランティアなんだろうか。思わず籠をお借りして片っ端から入れていく。上下二巻の上巻だけしかなかったりするけれど、買うとしたら多分控えてしまうだろう類の本がたくさんあった。また増えるのかと家人がぞっとした顔をした。本を漁っていると隣に来た男が人をつつくのである。ほぼ毎月会っては遊んでいる隣駅のベーシストであった。私は小説の類に全く手を出さないのだけれど、彼は小説の棚をほじくっていた。

  • 「戦後秘史シリーズ全10巻」大森実 講談社 1975-1976:全巻揃いで紐を掛けて置いてあった。迷わず籠に入れる。講談社文庫化されたもののうち、7-8-9-10巻は自宅の書棚に発見。これももちろんどこかの古本市で見つけたものに相違ない。
  • 「ハワイの日本人日系人の歴史(上)日本人ハワイ官約移民百年記念」ハワイ報知社 1986:定価18ドル 静岡新聞大石益光社長が墨痕鮮やかに認めた文字が素晴らしいけれど、装幀に凝る余裕はなかったらしい。ハワイ報知社の日本支社は銀座にある静岡新聞の事務所が連絡先になっている。これは上巻しかないのが辛い。前史時代のハワイから始まる。下巻は一体どこにいってしまったのだろうか。お持ちの方、返して下さい!とかいって。前史時代の日本とハワイとの関係から論じられている。是非とも下巻を入手したいものである。
  • 「オーストラリアの政治と行政」 久保信保、宮崎正壽 株式会社ぎょうせい 1990:東大法学部卒で自治省に入省した二人の官僚が相前後して担当書記官として赴任したシドニーの経験を生かしてまとめた総括書。わたしがシドニーに赴任したのは1995年だったからその時にはもう既にこの本は存在していたはずで、なぜ、この本に私は行き着かなかったのだろうか。そしてこの本は全く誰も開けた形跡がない。
  • 「オーストラリア I-II」福島健次 日本放送出版協会 1978:著者はNHKの元在シドニー特派員(1973-1976)この本はかつてこの図書館から借り出したことがあって表紙を見るなり見覚えがあったもの。誰か他の人に持って行かれるくらいなら当然持って帰ってくる。ちょっと古くなり過ぎているけれど、これだって私が赴任する時には既にあったはず。どうして捜さなかったのだろうかとつらつら考えてみると、自分は家でダイヤルアップでようやくインターネットに入ることができたくらいの時代。もちろん図書館はカードで管理していたくらいで、ネットで検索なんてことは考えることすらできなかった頃。赴任してみたらそこにはネットの「ネ」の字も転がっていなかった。そこからパソコンを他のメンバー用に東京を騙して一台入手し、電話線を一本つないで、ダイヤルアップ専用線にしたのだけれど、プロバイダーへの接続費用は上司が認めてくれなくて自己負担していたくらい。本は本屋で探してなければそれ以上に捜す手だては素人には残されていなかったのだ。
  • [何でも見てやろう」小田実 河出書房新社 1962:かつての青年たちの愛読書である。その一回り下の世代は多分それが沢木耕太郎なんだろう。私たちの時代にはミッキー安川という男もいた。こんなものまで廃棄本にしちゃって良いんですか?この本の初版は1962年7月15日が初版発行日となっているが、あっという間に版を重ね、その年の10月1日にはすでに六版発行となっている。また青春を取り戻すべく、鋭意努力を重ねようかなぁと。
  • 「引き裂かれたアイデンティティ ある日系ジャーナリストの半生」(原題: In Search of Hiroshi)ジーン・オオイシ 染矢清一郎訳 岩波書店 1989(原著1988):日系二世の著者の正直な気持ちを表現。
  • 「<戦前>の思考」柄谷行人 文藝春秋 1994 全編にわたって万遍なくボールペンでマークが入っていてなんとも滅入る気分にさせられる。それだけでなくて、たぶんそやつは読みながら紅茶かコーヒーをぽたぽたと音を立てて、たらしたようでもある。講演、対談等をおこしたものを数編集めたものである。
  • 「テムズと共に 英国の二年間」徳仁親王著 学習院教養新書 1993:現在の皇太子が英国に行った時のことを書いたもの。著者略歴には「皇太子」だとか、次期天皇継承順位第一位保持者だとかはなにも書いてはいない。それもさることながら学習院教養新書なんて出版物があるのだとは、全く知らなかった。裏表紙の下に小さく創立125周年記念としてある所を見ると一時的なシリーズものか。これはシリーズ第7号とされているが第8号が左近司祥子さんという東大から学習院に変わってこられた哲学の先生の「本当に生きるための哲学」という書物だと説明されているサイトがあるが、その書物が翌年の1994年に発行され、のちに岩波書店からも再発行された。こっちは再発行されたという情報は見つけられていない。ひょっとすると結構珍なる書籍を見つけたのかも知れない。こちらの情報によると「ヒュー・コータッチ(Hugh Cortazzi)元駐日英国大使が翻訳して“The Thames and I: A Memoir of Two Years at Oxford"(Global Oriental Ltd. 22 Dec 2005)と言う書名で英文発行されているそうである。
  • マクナマラ回顧録 ベトナムの悲劇と教訓」 Robert S. McNamara 仲晃訳 共同通信社 1997:映画「The Fog of War」を見ているので、より興味はわく。この本の目次はただ単にタイトルが並んでいるのではなくて、数行のアブストラクトらしきものが書かれている。これ、なかなか良いアイディアじゃないの。ここの図書館の本は必ずビニールの透明なカバーがぴっちりとかけられているものなのに、この本は何もそんなことがされていない。ラベルも貼られていないから棚に出されていなかったものと見える。
  • 「リトル・トウキョー100年」米谷ふみ子 イチロウ・マイク・ムラセ 景山正夫(撮影) 新潮社 1987:p.34以降はIchiro Mike Muraseが書いたVisual Communicationsから発行されたLittle Tokyo; One Hundred Years in Pictures(1983)に加筆再編集したものだと奥付に書いてある。米谷ふみ子とは「過越の祭り」の著者のことである。米谷の書いているものがとても面白くて読み込んでしまい、19年も昔の出版物とも思わずにロス・エンジェルスに出かけて「あれ!?」と思いそうである。現在のリトル・トーキョーと比べるとまた面白いかも知れない。自らも国際結婚である米谷であるがこの中に国際結婚の会の草創期のことが出てくる。そういえばバンクーバーの国際結婚者の話をどこかで読んだ記憶があるなぁ。ちなみに今はこちらリトル東京のサイトがある。
  • マッカーサーへの手紙」林茂雄(東京新聞中日新聞編集委員)図書出版社 1986:著者は元ワシントン支局長。マッカーサー記念館の文書館に残された日本人がマッカーサーに当てて書いた大量の手紙を材料にその差出人を捜し当て、ルポしており、それを東京新聞中日新聞北海道新聞等で1985年に連載したものだという。
  • 「裸のマッカーサー 側近軍医50年後の証言」ロジャー・O・エグバーグ著 林茂雄/北村哲男共訳 図書出版社 1995:(原題 MacArthur and the Man He Called "Doc")これは相当に読まれたようで、随分めくりましたというばかりに汚れている。
  • マッカーサーが捜した男」香取俊介サイト参照 双葉社 1998:米国移民の二世であり、日本国籍を持ちハーバードを卒業後日本に帰り、GM日本法人で働いていた浜本正勝を書いた著書。“捜した”とはアメリカに対する敵対行動を理由に捜したという意味である。私は一瞬役に立つから捜した、と言う意味だと思った。
  • 近衛文麿 運命の政治家」岩波新書評伝選 岡義武 岩波書店 1994 元は1972年発行の岩波新書(青版)だそうである。
  • 「僕は悪人 少年鶴見俊輔」新藤謙 東方出版 1994:もちろん鶴見俊輔の名前に引かれて手にしたのである。この著者が鶴見俊輔といかなる関係にあるのかが分からないのだけれども、鶴見俊輔の生い立ちを追いながら思想を考えるとまえがきに書いている。
  • 天皇の学校 昭和の帝王学と高輪御学問所」大竹秀一 文藝春秋 1986:著者は元産経新聞記者。1971年の昭和天皇訪欧に同行。そのたち位置を確かめながら読んでみようかと。
  • 「異文化のなかの日本人 日本人は世界のかけ橋になれるか」渡辺文夫 淡交社 1991:著者は異文化における心理研究者と言って良いだろうか。現在は上智大学文学部教育学科教授。それにしてもなんで大学の先生が淡交社から出すのかと不思議に思いながら手にしたのだけれども、ご自身の体験にふまえて書かれたわかりやすいエッセータッチの著作であった。
  • 「日米戦争観の相剋 摩擦の深層心理」油井大三郎 岩波書店 1995:戦後半世紀のこの年、あの戦争についての出版物はどれほど発刊されたのだろうか。175頁で「マクナマラ回顧録」がどれほどの反響を起こしたかについても触れているのはこの年がベトナム戦争終結20周年でもあったからである。
  • 「自伝の書き方」保阪正康 新潮選書 1988:最近知遇を得た翻訳家で作家の方からお伺いしていた保阪の著書のひとつである。偶然目に入って幸運だった。保阪は大変な数の自伝を読み込んできているのだそうで、レクチャーでもその辺の話が出るのだそうだ。裏表紙の解説は西部邁である。

以上が今日の収穫物である。