ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

人に接する仕事

 人と対面しての仕事は一方に対峙する自分という人間性を全く包み隠さず露呈する。意図的にしても無意識にしても、まったく自分の人間性を表に出そうとしないで、頑なに包み隠して行うのは難しい。
 それがそんな意図が全くわからなくても決まり事をおたがいがやりとりすれば、それで分かってしまうというものであれば、これはこれでいやいや全くの話、簡単だ。それは多分貨幣と物を交換するだけだからだ。
 ちょっと込み入った表現をしたんだけれど、要するに介護の仕事はその対象となる方が、どんな動きを必要としていて、何を果たせばその方の「快適」をより増すことができるのかというポイントを探り当てればもう殆ど目的を達することができる、ということなんだけれど、それがなかなかわからない。
 だからこの仕事に従事している人は苦労する。ベテランさんにそんな前例はないか聞いてみるとヒントにはなるかも知れないけれど、全くそれとそっくりそのままなんてことはあり得ない。なにしろ意図的に表に出さないようにしている人だっておられるんだしねぇ。
 みんなで寄り集まって、一体全体この人はどうだってんだろうかと相談してみたって、なかなか本当のところがわからない。
 そうやって毎日毎日目の前のことに悩みながら動かないわけにはいかないってのに、根本的な法を整備していく人たちの動きはあたかも人ごとのようだ。そして現場で動く人たちは自らの精神的高揚感を糧にして今日も明日も自らを鼓舞している。その力が萎えてしまわないうちに、本当に報いてあげられるようなシステムにしなくちゃならないんだぞ、と手遅れにならないように動いていかないものかと考えるのだけれど、そのために私が今できることはなんだろうかと思うと、あの一票を投票することでしかないのかと思うと茫然自失だ。いい加減に策を弄していつまでもこうした労働に対する支援をないがしろにして平気でいるのを止めて、根本的な解決を図ることにしようじゃないか。たかだか数%の報酬改善なんてことで物事が見事に解決できるわけがないじゃないか。だみ声の口の曲がったおっさんが1.2万円をもらうのもらわないのはもうどうでも良いから、真剣にやれよ。

 意味があるのかどうかこっちからではわからないけれど、豪州のケビン・ラッドは年末の交付金に加えてまた金をばらまくといっている。だみ声のおっさんがうろうろしている間にバンバン動いている。どうやら前原が云っていた「やるやる詐欺」ってのはあながち外れちゃいないかも知れないなぁ。