ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

やっちゃだめだよ

 枕をまたぐな、敷居を踏むな、本を踏むな、人をまたぐな、箸で皿を動かすな、箸でものを一緒に掴むな、ご飯に箸を立てるな、ご飯を山盛りによそうな、そんなことは随分親に言われた記憶がある。今想い出しただけを並べたんだけれど、これはほとんど歩く時のことだったり、片付けのことだったり、縁起物だったりするけれど、もっともっとたくさんいわれていたような気がする。不思議とうるせぇなぁと思った記憶よりもあぁ、そういうもんかと思った記憶である。
 友達の結婚披露宴の司会を頼まれるようになった頃は「忌み言葉」なんてものを聴いてはいたけれど意識していなかったものだから、随分気を遣って多分本を買ってきて読んだ。
 学校の合宿やら修学旅行、あるいは社会人になってからの人との付き合いの中でも「これはやっちゃいけない」といわれていたことが気になったりしていた。合宿の時におかわりするのが面倒だからと茶碗に山盛り一杯よそったほうが効率は良いけれど、やっぱりそれは行儀の悪い食べ方だと思っていた。
 そうだ、その行儀が良い、悪い、という概念がもうすでに殆ど今の日本社会の中ではどうでも良くなっちゃったというのが現実なんだろう。
 女の子たちが喋っているのを聴いていると、もう完全に男も女もなくなった。男は「なんだよ!」といっても良くて、なんで女はいけなかったのか、ということには理由はないけれど、そういうものではなかったわけだ。これを権利の均等化なのかといったらそれは違うだろうな。なにしろ「なんだよ!」というかいわないかは平等か不平等かという話とは全く関わりがない。
 一体いつから女の子がこんな言葉を平気で使うようになったのだろう。それは多分、喋りかける相手が歳上か、歳下かを意識しなくなったことと時をいつにするのではないだろうか。自分の立場を意識しなくて良くなったのはなんでだろう。「空気を読む」という合い言葉はかなり普及しているように見えるけれど、それこそ空気を読むことになると思うんだけれど、そこのところはあんまり意味を持たないのだろうか。ひょっとすると今の女学生たちはかつての女学生がつかっていた話し言葉を聞いたらぶったまげちゃうのかもしれない。「なんだよ、これ!」といって。