- 作者: 藤島泰輔
- 出版社/メーカー: 読売新聞社
- 発売日: 1967
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手元にやってきたのは1976年に国土社ノンフィクション全集の一冊として出版されたもので、明らかに子ども向けに書かれた213頁のもの。このAmazonで引っかかってくる1967年に読売新聞社から刊行されたものを底本に書き直したのではないのだろうか。表紙と中の挿絵は依光隆の手になるもので、かつての子ども向け書籍の挿絵で随分見た筆致である。
真珠湾が帝国海軍機によって奇襲された日のLos AngelesのLittle Tokyoの描写から始まるこの本は確かに史実に基づいているのだけれど、登場人物はモデルとなった写真家・宮武東洋は実名では登場しない。これを「ノン・フィクション」とするのは如何かという気がしないではないが、藤島があとがきで書いているように1966年に宮武東洋から直接話を聞いているそうだ。
ロナルド・レーガン大統領が日系アメリカ人補償法にサインしたのは1988年になってからのことだから藤島が原著を著した時にはまだまだで、最後は「わたくしたちは、いま平和な時代に生きている。だが、戦時中、こうした祖国と血の問題に真剣に悩んだ人びとの歴史を忘れてはならないだろう。」と結んでいるにすぎない。
藤島は当時の陸軍長官のスチムソンの日記1941年10月16日を引用している。
『われわれは、日本が失態を犯して最初の攻撃を明白な形で行うことを確実たらしめるよう外交するという微妙な問題に直面している』
そして同年12月25日には
『問題は、どのようにかれ等を操って、われわれにはあまり過大な危険をおよぼすことなく、最初の一発を発射するような立場にかれらを追い込むべきかということであった。これはむずかしい注文であった』
と書かれていたことから明らかに米国政府首脳は、真珠湾奇襲を予測していたのだとしている。
開戦直後に西海岸の日本人の要人は数多くが聴取ということで警察に連れて行かれ、そのまま収容されてしまったのだけれど、その時期に自殺した人が多くいたという記述には驚かされた。前にもどこかで読んだのかもしれないけれど、忘れている。
藤島泰輔という名前は随分前によく聞いたような気がして、一体誰だったのかなぁと調べてみて驚いた。ジャニーズ事務所のメリー喜多川の夫だ。元はといえば小学校から学習院で今上天皇のご学友の一人で卒業後東京新聞社会部記者となり、翌年ヴァイニング夫人を題材にした小説を書いた。ポール・ボネというペンネームで在日フランス人の振りをしてエッセーを著したことでも知られている。しかし、彼は今でいったら産経系の諸君や正論に勇んで書くようなポジションを取っていた。それで私が記憶していたのだ。1997年に癌で死んでいる。私が留守にしていた期間の出来事で、だから私にとっては記憶が薄いのだろう。メリー喜多川は藤島泰輔より約7歳年上。