一番古い記憶はコルツィナダンペッツォだろう。猪谷千春と先日亡くなったトニー・ザイラーを覚えている。あれは1956年の出来事で、私は小学校2年生だったんじゃないだろうか。当時はテレビなんてあるわけないんだからラジオと新聞だけで、よくそれで記憶に残っていたものだと不思議この上ないけれど、多分その後のトニー・ザイラーが映画に出ては話題になってあとからすり込まれたのだろうか。
その次が1960年の米国、Squaw Valleyでのオリンピックである。競技そのものは全く何も覚えていないのに、ここの名前だけはくっきり覚えているのが不思議。後年(1972年)ここに行って見たいと思ってJTBにその可能性を相談しにいったことがある。ところがその支店の担当者はこの地名を知らないというのだ。今だったらネットで一発で誰でもが見付けることができるのだけれど、当時はオンラインになっている情報があるわけでもないから活字媒体で見付けていたのだろう。結果として私はカリフォルニアとネヴァダの州境にあるLake Tahoeの南の街にいった。Heavenly Valleyという大規模なスキー場がある。ここで初めて二人乗りのリフトに乗った。当時はまだ日本にはシングルのリフトしかなかった。
札幌オリンピックは1972年で会社に入ってまだ1年経っていない時期だった。例の日の丸飛行隊が飛んだ日は新幹線の静岡駅にお客を迎えに行っていた。電車がやってくるのを待っている間に駅のテレビが中継をしていたのを覚えている。そのお客が一体誰だったのかも全く覚えていない。独身寮ではテレビをもっているわけでもないし、食堂のテレビで見たのかもしれないけれど、殆ど覚えていない。覚えているのはトワエ・モアの歌だけだ。
リレハンメルのオリンピックは長野の前。1994年のことだけれど、別に何も覚えてはいないんだけれど、このオリンピックの随分前にノルウェーから昔接点のあったノルウェー人が東京に遊びに来てリレハンメル・オリンピックのマスコットの置物をもってきてくれたので覚えているのである。
何回も書いたように長野オリンピックは1998年で外地にいたのでなかなか欲しい情報が入ってこなくて、それを一生懸命に集めたものだからことさら印象がある。
その次のSalt Lake Cityオリンピックは競技そのものにはあまり記憶はないけれど、以前2.5ヶ月間滞在していたことがあるので、その時とオリンピックになってからとであの街がとても変わっていたので印象が強い。
それにしても情報が殆ど少なかった当時のオリンピックの方が印象が強いのはなぜだ。