ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

そらっとぼける

 根拠はないのだけれど、国会の議事録で昭和62年以降に非核三原則の密約疑惑について語られていた部分を平成9年まで拾ってみた。この期間については繰り返すけれど、なんの根拠もない。

1987年05月

 20日参議院本会議で日本共産党の沓脱タケ子*1がこんな発言をしている。もうすでに暴露されているということだ。

沓脱タケ子:日本への核持ち込みに関する日米政府間の秘密協定が我が党調査団によって明らかにされました。このことは、長期にわたって非核三原則を空洞化し、国民を欺瞞してきた歴代政府の責任の重大さを示すものであります。しかも、本院での審議を通じて、この日米秘密協定否定のため、日米合作でもみ消しを図っている事実が明らかになったことは、逆にその存在を確信させるものであります。我が党は、日米核密約の存在と核持ち込みの疑惑を徹底解明するため、調査特別委員会の設置などあらゆる措置を講じるよう求めるものであります。

 日本共産党はこれから先、何度も何度も自民党にぶつける。

 22日の衆議院・外務委員会で日本共産党・岡崎万寿秀が倉成正外務大臣*2に迫る。

岡崎:今日、国民の間には非核三原則が守られていないのではないか、特に核持ち込みが行われているんじゃないかという疑惑は決して少なくない、かえって広がっているという状況にあります。
ここにお持ちしましたのは昭和60年7月24日付の朝日新聞でございますけれども、核持ち込み問題についての世論調査の結果が載っています。主として広島、長崎を対象に調査したものでございますが、「非核三原則のうち核兵器を「持ち込ませない」という方針は、守られていると思いますか。」こういう質問に対して、「守られている」というのがわずかに11%でございます。「そうは思わない」というのが何と73%に及んでいます。これは決して広島、長崎だけのことではなくて、被爆国日本国民大多数の世論の状況であろうというふうに考えます。
倉成外相も長崎の出身でございますので、そのことは篤と御承知だろうというふうに思うのです。こうした国民の抱いている核持ち込みの疑惑に対して、政府は誠実な態度で当たるべきであるというふうに考えますけれども、外務大臣、当然であろうと思いますが、外相の所見をお伺いいたします。こういう国民の世論に対して誠実な態度で当たるのは当然だと思うけれどもどうかということです。

倉成外務大臣:御指摘のとおり、誠実な態度で当たる所存でございます。

岡崎委員:ぜひそういう態度で——国民の73%、大変な率の方々が、まさに四人に三人に近い方々が核兵器が持ち込まれているのじゃないかという疑念を持っている。こういう疑念に対して政府は、そして、ただいまは外務大臣も誠実な態度で臨むというふうにおっしゃいました。
 それでは、そういうことから話を進めてまいりますが、日本への核持ち込みの事実についてはこれまでもアメリカのラロック元提督やライシャワー元駐日大使の証言などがございました。政府は、これについては、個人的な発言であるので責任ある態度をおとりにならないことで過ごされましたけれども、 今回我が党の訪米調査団がアメリカの議会図書館の中から発見いたしましたこの公文書、これは日米両国政府の間に核持ち込みについての秘密の合意があるとい うことを明記した初めての公文書でございます。そういう点で内外に大変な反響を呼んでいるわけでございます。
 ところが政府は、4月14日の我が党の金子質問に対して、全体として不正確なもので、表現の一つ一つをとらえて厳密な考証、分析を行うことは無意味であるという米政府の回答を述べられました。
 そして、それを盾にしてこの核密約の存在を国民の前に率直に解明しようとする態度をとられていません。しかし、今述べられていることは、これはアメリカ側の言い分なんです。日本には独自の判断があってしかるべきであろうというふうに思います。日本は世界唯一の被爆国でありますし、非核三原則を 国是にしている国なんです。ここでこのようなはっきりした核持ち込みの日米の秘密合意があるということが示されているような文書が発見された以上、不正確 だというならばどの辺が不正確なのか、そういうことについてももっとはっきりと率直な態度をとる必要があると思いますし、この核疑惑の解明について努力す るのが政府の当然の責任であるというふうに考えるわけです。
 外務大臣、この問題についても、アメリカの言い分をオウム返しにするのじゃなくて、日本は独自の判断で疑惑を解明するのが政府の責任であるというふうに思いますけれども、外相の政治的な所見をお伺いいたします。

倉成外務大臣日米安保条約事前協議制度がある以上、我が国が非核三原則を堅持しているということにつきましてはアメリカ政府も十分承知しておることでございますから、私はこの信頼関係に基づいた安保条約上の事前協議がない以上、この問題についてアメリカ政府の立場を信頼いたしておる次第でございます。
岡崎委員アメリカ政府の立場を信頼するのは結構でございましょう。しかし、アメリカの言い分をそのままそっくりこの国会で述べられるんじゃなくて、日 本の政府の独自の判断があってしかるべきじゃないか。被爆国日本国民が、そして73%の人々が核兵器の持ち込みが行われているんじゃないかという疑問を持っている。そしてその疑問を証明するような公文書が発見された。この際は、やはり国民の疑惑を解く責任が政府にあるんじゃないか。これについてどういう判断をなさるかについてはこれはまた別の問題なんです。
 しかし、疑惑を解く、疑惑を解明する責任が政府にあるんじゃないか。それが先ほど倉成外相が言われた誠実な態度であろうというふうに思うのです。その基本的な姿勢についてお伺いしているわけでございます。
倉成外務大臣:先ほどの公文書の公開につきましては、先生お話しのとおりこれに関する金子書記局長の御質問に対しては、政府の答弁についてもお述べになったとおりでございまして、もうこれを繰り返すことはいたしません。
 私も外務大臣に就任いたしまして直後、詳しいことは省略いたしますけれども、8月14日、アメリカの大使館から米戦艦ニュージャージーが入ってくる、乗組員の休養とレクリエーションのために8月24日から9月2日に佐世保に寄港する予定であるということ、そして18日に米が公表するという内報がございました。
 そこで、当然のことでありますけれども、もし何か核を持ち込んであるということであれば事前協議になることは間違いないわけでございますけれども、私も長崎の出身であり、就任早々でございますから、米戦艦ニュージャージーの本邦寄港が具体化したことを踏まえまして、8月16日、外務省にマンスフィールド 米大使を招致いたしまして、近年、米国の抑止力維持強化努力の一環として新たな装備の配備が進められるということ、特にかかるものの象徴としての戦艦 ニュージャージーの本邦寄港との関連で日本に核兵器が持ち込まれるかもしれないとの懸念が国会等で表明されていることにかんがみ、このような懸念を将来に わたり払拭するとの観点から核持み込みについての事前協議制度について確認を行った次第でございます。
 その際、私から、日本国民の中には核兵器に関する特別の感情が存在することを紹介の上、これはマンスフィールド大使も私が長崎の出身ということはよく御承知でございます。日本政府として非核三原則を引き続き堅持すること及び国会における答弁を含め、多くの場において、米国政府が事前協議の枠組みの中で核 持ち込みにつき許可を求めてきた場合には、政府として非核三原則に従って対処する旨明確にしてきたことを説明いたしました。さらに私は、戦艦ニュージャージーについてこれまでの国会のいろいろな論議を紹介しつつ、戦艦ニュージャージーの本邦寄港についても、日本政府として安保条約及びその関連取り決めに従って厳格に対処する所存であることを明らかにした次第でございます。
 これに対しましてマンスフィールド大使は、米政府は核兵器に関する日本政府の特別の感情を十分理解している旨述べ、また、核の存否につき肯定も否定もしないというのが米政府の一貫した政策であることを指摘しつつ、米政府としては安保条約及びその関連取り決めに基づく日本に対する義務を誠実に履行してきており、今後とも引き続き誠実に履行する旨を保証いたした次第でございまして、そのアメリカのマンスフィールド大使も現に大使としておられるわけでございますから、私はこれをもって十分であると心得ております。
岡崎委員:ただいま戦艦ニュージャージーについての対応について長々と御答弁なさいましたけれども、私が聞いているのは戦艦ニュージャージーではなくて、まさに核密約の問題なんです。この問題につきましても、アメリカの言い分のオウム返してはなくて、はっきりと日本国民の立場に立って独自の判断で誠実 に疑惑の解明に当たる、こういう姿勢をお持ちかどうかということについて伺っているわけでございます。もう一度御答弁を——倉成大臣の答弁を願っているのです。政治的な答弁でございます。
倉成外務大臣:今の公文書の問題でございますけれども、これはアメリカの文書でございますから、その有権的な解釈はやはりアメリカ政府がいたすわけでございます。日本政府の照会に対しまして金子書記局長にお答えしたような答えが来ているということでございますので、これ以上のことを申し上げることはございません。
岡崎委員外務大臣は日本の外務大臣でございますし、有権的解釈はアメリカにあるからといってアメリカの言い分をそのままというのはおかしいでしょう。 不正確であるとアメリカが言っているのだったら、どこが不正確なのか国民が納得するように疑惑の解明に当たるのが日本政府の姿勢じゃございませんか。そういう姿勢はおとりできないということでございますか。これもやはり政治質問でございますので、藤井さん、あなたにはまた別に聞きますから、大臣にお願いします。
倉成外務大臣:ただいま申し上げたとおりでございまして、誠実に対処いたしておるつもりでございます。
岡崎委員:何回聞いてもアメリカの言い分を繰り返すだけが誠実な態度であるとおっしゃるのはまことに残念だと思うのです。
 日本国の外相であるならば、73%の、あなたの出身地の長崎の県民を含めて疑惑を持っているこの問題については、やはりもっと誠実に疑惑解明に努力するという姿勢が必要だろうと思うのですが、そういう姿勢さえもないのは大変残念ですけれども、この問題を含めて先に進んでいきたいというふうに思います。一
 アメリカの方は、先ほど言ったように不正確だ、だから一々詮索するに当たらないという形で逃げていますし、今大臣の御答弁のように、政府も同じようなことを繰り返している。まさにこのような公文書について日米が一緒になって、一緒に相談してというようなことなんかをちょっと藤井さんは答弁なすったようでございますけれども、もみ消し工作をしていると言われても仕方がない状況であろうというふうに思うのです。
 問題は、極秘電報がラスク国務長官から、1966年でございますけれども、東京のアメリカ大使館ライシャワー駐日大使あてに送った訓令電報だという点なんです。
 そこで、日本の場合についてお聞きしますけれども、外務省は外国の在外公館に対して、その国との折衝を命令するような訓令を発する際に、その表現や内容 まで含めて慎重な検討をやり、手続をされていると思いますけれども、どういう決裁の手続、検討ををすっていますか、日本の外務省の今日やられていることを お答え願いたいと思うのです。

  • 私はこの倉成外務大臣を全く覚えていない。それにしてもアメリカで文書が見つかったっていうんならアメリカに聴けばいいじゃないか、というスタンスはおふざけそのもので、こんなスタンスでとぼけるということで閣内は合意されていたということなんだろうか。

1987年07月

 7月10日の参議院本会議で、やはり日本共産党佐藤昭夫が質問に立つ。

佐藤昭夫:総理、あなたは日本列島不沈空母化、日米運命共同体発言で登場し、日本の領域外まで軍事行動を拡大するシーレーン防衛、日米共同作戦計画などアメリカ有事の際の自衛隊参戦体制推進と、そのための軍事費を、対GNP1%突破を初めとして米ソに次ぐ世界第三位にまで巨大化させました。そして、核密約が示すように、非核三原則を空洞化し、我が国の核基地化に進んで加担してきました。核兵器廃絶の国際世論の高まりの中で、アジアを含めてINF全廃の米ソ合意の可能性が強まっている とき、総理が過日のベネチア・サミットにおいて中距離核ミサイル、INF百発のアラスカ配備を言明したことは極めて重大であります。

これに対して時の総理・中曽根康弘は「核密約」に対しては全く触れもしない。

中曽根康弘核兵器の一方的廃止は平和を破壊する危険がある、一方的廃止という言葉を今度は入れてあるわけでありまして、これは私は正しいと思っておるのであります。均衡と抑止で今のような平和が維持されておる、そういう考えに立っていることは前から申し上げているとおりであります。

 7月31日の参議院・外交・総合安全保障に関する調査会でやはり日本共産党上田耕一郎*3が当日招かれた参考人である防衛大学校教授・西原正*4に対して質問に立つ。

上田耕一郎:西原参考人がお述べになられた、日本は一方的な軍備管理を実施してきたということの中に非核三原則なども挙げられましたけれども、実際に非核三原則は守られていないということは、私どもが国会でも問題にした1966年のラスク国務長官核密約がある、日本に核兵器を持ち込むと、それらの問題でも明らかになっていると思うのです。そういう点で言うと日本が事実上アメリカの核基地になっている、核戦略の通信施設等々もあるという問題に対して、日本の政府並びに国民がどう前向きにやっていくか。例えば非核三原則も本物にしていくということの努力が必要ではないかと思うのですけれども、そこらあたりの問題についてお考えをお聞きしたいと思います。

西原正:日本が非核三原則をもう少し本物にしていくべきではないだろうかという御指摘でしたけれども、私は日本政府がとっております非核三原則は有効に働いているというふうに感じますし、日本の安全にとって現在この政策が役立っているというふうに感じます。したがって、西太平洋地域におきます安全保障を考える際に、日本の持つ非核三原則は安全保障環境にプラスになっている、ここで日本がこの政策を、原則を変えるならばそれだけ緊張の種がふえるかもしれないというふうに感じます。

 これは上手い具合に答えているもんだと感心する。ま、どちらかといえば居直ったという姿といえばよいのだろうか。

1987年12月

 1987年12月02日の参議院本会議で竹下登はこのようにしれっと表明した。

竹下登:政府は従来から平和憲法のもとで専守防衛に徹して、非核三原則を守りながら、大綱に定める防衛力の水準の達成を図ることを目標とする中期防の着実な実施というものにまずは努力をしてきております。今後ともこのような考えのもとで節度ある防衛力の整備を図っていくという基本的な考え方はそのまま継承いたしております。

 翌年1988年10月25日の参議院・内閣委員会で(珍しく)公明党の峯山昭範が質問している。

峯山昭範:それでは次に、非核三原則の問題についてお伺いしたいと思います。総理は国連におきましてもこのことをいろいろとおっしゃっておりますし、そういうような意味で、我が国が非核三原則を堅持している理由について、初めに総理の御認識をお伺いしたいと思います。

竹下登:私は、我が国の非核三原則といういわゆる国是、ナショナルポリシーと言われておりますが、これは、我が国がいわゆる唯一の被爆国民であるというそういう認識、そしてまたいわゆる平和憲法そのもの、そして専守防衛というものの考え方、そういうところから国是としてこれが成り立ってきたものであるというふうに思っております。
峯山昭範:私も総理のお考えに賛成であります。
 特に、唯一の被爆国として、核廃絶に対する国民の願いがあります。二番目には、平和憲法の問題があります。それから三番目には、核兵器では真の平和は得 られないという考えを私は持っております。そういうような意味でこの三原則は絶対大事な問題であると思うんですが、総理、この中で、核持ち込みに対する国民の不安というのがあるんです。
 これは、昭和42年に非核三原則が確立して以来もう20年以上になるわけですが、最近国民の不安は募るばかりであります。古くは、総理も御存じのとおり、エルズバーグ博士の発言、そしてその後ライシャワーさんの発言、そのほかラスク元国務長官の発言、ジョンソン元国務次官の発言等、最近新聞報道で見ただけでも随分あります。ここら辺のところを見てみますと、やはり、日米政府間の密約という問題が新聞でも指摘されておるわけです。
 これは、問題点はどこら辺にあるかということは総理も御存じでしょうから私も詳しくは申し上げませんが、少なくともこのイントロダクションのいわゆる核持ち込みという問題、この中に一時寄港とか通過という問題が入っているか入っていないかという問題、これは非常に重要な問題でありますし、ここら辺のところは政府としても一遍きちっとすべきときに来ているんじゃないか、私はこういうふうに思うんですが、総理のお考えを初めにお伺いしたいと思います。
竹下登:これは、いわゆる交換公文の規定とそれから藤山・マッカーサー口頭了解からいたしまして、イントロダクションの中に寄港、通過が含まれているという解釈をして今日まで来ておるわけでございます。
 私は、その以前の問題として、いわば日米安保条約というこの安保体制下において我が国の平和と安全というものが保たれて今日に至っておる、ということをまず大前提に置いた場合に、いわゆる疑念を持つということによって何よりも大切な信頼感ということに傷がついてはならぬというふうに考えておるところでございます。
 したがって、この問題につきましては、あくまでもそうした場合には事前協議が行われるということを信じておるということを申し上げる次第でございます。
峯山昭範:総理、それでは国民の不安は解消されないわけですよ。
 私は、日本のしかるべき人たちがこういう問題について不信を持ったというのなら別ですけれども、アメリカの元高官の皆さん方が密約があるということを、すべてアメリカ側から言うておるわけですよ。ですから、日本政府としては、こんなこと困るじゃないか、一体どうなっているんだ、日本はこういうふうに思っているけれどもアメリカさんどうなんですかと、これはこういうふうに言っても信頼を裏切ったことにならない、私はそういうふうに思うんですよ。なぜかとい うと、日本側が提案したのと違うから。アメリカの元高官が日本に来て、あるいは、日本に渡ってくるであろうそういういろんな文書で言っているから、日本の国民の皆さん方は大変不信を持っておるわけです。だから、日本の政府がこれに対してこれはどうなんですかと言っても、決してその信頼を裏切ったりすること にはならない。
 私も安保条約についてはそれなりの効用を認めて言っているわけでございまして、基地を持ちあるいはこういう艦船が寄港しているところの皆さん方の大変な悩みになっているわけでございますから、そういう方々のいわゆる不信感を解消してあげることをやらないと、今総理がおっしゃったようなことは今までに何回も何回も聞いているわけで、それだけでは納得できないということで私どもは申し上げているわけでございます。
 ここら辺のところは、総理、もう一歩何とか進んでいただかないと解決しないんじゃないかなと私は思うんですが、いかがでしょうか。
竹下登:そういう方々のいわば私人としての発言とはいえかつての経歴等からして、それがいろいろな議論を起こしたということは私は事実であると思っております。
 したがって、言ってみれば、そういう議論、そういう報道等がなされた場合の、別に随時協議とかいわば事前協議とか定期協議とかいうような範疇に属するものではなくして、外交ルートの間で、そういう懸念に対してそんなことはありませんよというようなことはあり得ることだというふうに思っております。
峯山昭範:これは、長洲神奈川県知事からの申し入れを総理もお聞き及びだと思いますが、この中でこういうふうに言っているわけです。
 「もはや事前協議制にもとづく従来の説明だけでは、この不安と動揺を解消する説得力をもちえない状況にあり、このまま両艦の横須賀入港となることは、まことに遺憾といわざるをえません。国におかれては、核兵器の持ち込みが絶対になく、国是である非核三原則が厳格に守られていることを、みずからの責任において、なんらかの方法で裏づけをとって明確にされるよう貴職に対し強く要請いたします。」
 こういうふうに、従来の申し入れとは違う一歩進んだ考え方を述べていらっしゃるわけです。
 私は、基地を持っている地元の、いわゆる地方自治体の長の悩みというものは、これは大変強いと思うんです。この点についてぜひ何らかの悩みを解決するための努力をしていただきたい。

 神奈川県知事からも要望が出ている状況下にあっての時の竹下総理の答えは「疑念を持つということによって何よりも大切な信頼感ということに傷がついてはならぬ」ってんだから、ブルブルと震えて東を見つめていたという状況がよく分かる。孫のDAIGOの感想を聴きたいものだ。

1989年06月

 1989年06月08日には日本共産党・金子満広書記長が日本共産党・革新共同を代表して、短命に終わった宇野新総理に質問をしている。

金子満広:総理は、所信表明で、日米安全保障体制の堅持あるいは非核三原則の堅持を言いました。しかし、今回明らかにされたこの水爆の事故と横須賀寄港の事実は、日米軍事同盟が核つきの軍事同盟だ、非核三原則というのは堅持されているどころか全く空文になっているということを重ねて国民の前に明らかにしたと思います。(拍手)今や、つくらず、持たず、持ち込ませずという国是は、つくらず、持たずというのはそれとしても、持ち込ませずというのは、日本政府によって確かめずに変質をしていることを私はここで指摘して おきたいのであります。
 私は、一昨年4月本院の予算委員会で、1966年の2月に当時のラスク米国務長官から在日ライシャワー大使あての極秘電報で、1960年、既に、日米両 国間に核兵器積載艦船の我が国への寄港、通過をあいまいにし容認するという秘密の合意があったことを、解禁されたアメリカ側の公式文書に基づいて政府の見解をただしました。これに対して、当時の中曽根内閣は、その密約を否定をし、事前協議の申し出がなかったから核兵器は持ち込まれていないといういつものせりふの繰り返しで答弁を行ってきました。
 しかし、周知のように、核兵器に対するアメリカの国策は、核兵器がどこにあるかないか、その所在を明らかにしないということであります。核兵器の所在を明らかにしないアメリカが、どうして核兵器を積んだ船を日本の港に入れるということで事前協議を申し入れできますかね。してくるはずはないじゃないですか。それは、過去29年間なかったことであり、今後もあり得ないことであります。国是である非核三原則は、核兵器の所在を言わないとするアメリカの国策に踏みにじられているというのが現状ではありませんか。ここまで来ても、総理は本当にまじめにアメリカが今後も事前協議を申し入れてくるなどとでも思っているのかどうなのか、伺います。
 総理、外務大臣を経験されたあなたは、そのことをだれよりもよく知っているはずであります。非核三原則を 堅持すると言いながら、もしそれが本当ならば、まず、空母タイコンデロガがアメリカを出港してベトナムで作戦をして再びアメリカに戻っていったあの航海日 誌の全容の提出をアメリカ政府に要求して、これを入手し、天下に公表すべきであります。これは、国の安全に責任を持たなければならない政府の果たさなければならない当然の責務であります。私は、核兵器の廃絶を願う唯一の被爆国の国民の名において、このことを強く要求をいたします。(拍手)
宇野宗佑:タイコンデロガのときには私は外務大臣でございましたが、重大な関心を有するということを表明をいたしまして、いろいろな資料の提出をアメリカに今依頼中でございます。
 また、核の持ち込みに関しまして、秘密協約があるのではないかという御指摘でございますが、御承知のとおり、核の持ち込みの問題につきましては、いわゆる六条協議、事前協議が発せられて初めてそこでいろいろと協議がなされまするけれども、その実施に関する交換公文及びいわゆる藤山・マッカーサー口頭了解がすべてでございまして、秘密であると否とを問わず、このほかに何らかの取り決めがあるという事実はございません。また、航海日誌に関しましては、ただいま米国に照会中でございます。

 翌日6月9日には日本共産党の内藤功が参議院本会議で質問に立つ。

内藤功アメリカの空母タイコンデロガの艦載機が水爆を積んで水没した事故は、日米安保条約のもと、我が党が暴露した核密約に基づいて、事前協議など全く無視して、横須賀、横田などがアメリカの核戦争の基地とされ、我が国が核事故の危険にさらされていることを示す重大な問題であります。当時の乗組員は、同空母が30ないし40発の水爆を積んで往路も帰路も横須賀に寄港したと証言しています。しかも、同艦の航海日誌によると、タイコンデロガは横須賀に4日間も停泊していたのであります。しかるに宇野総理は、今や世界の常識になっているタイコンデロガの横須賀入港の事実さえ認めないという、国際的に物笑いとなるようなかたくなな態度に終始しています。何を根拠に横須賀入港の事実をお認めにならないのですか。報道される航海日誌は本物でないとでもおっしゃるのですか。はっきり答えていただきたいと思います。
 総理、このようなアメリカ任せの態度では、非核三原則を国是とする日本国政府のとるべき態度とは申せません。少なくとも、タイコンデロガのアメリカ母港出港から帰港するまでの全期間の航海日誌の提供を求めるべきであります。総理、それもやらないのでは、国民の安全に責任を負う政府とは言えません。私はこの際、改めて日米の核密約と軍事同盟の廃棄を要求するものであります。
 来年は、広島、長崎に原爆が投下され、多くのとうとい人命が奪われてより45周年を迎えます。多くの被爆者の方が高齢化し、不安が募る今日、国家補償による被爆者援護法の制定こそ急務と思いますが、総理の見解をただしておきたい。
宇野宗佑:さらに、米空母の横須賀入港、航海日誌、非核三原則に対するお話でございましたが、これには私は大変重大な関心を持つということを外務大臣当時に表明いたしましたし、米国にも照会中でございます。航海日誌に関しましても照会をいたしております。
 また、非核三原則は常に守っております用地位協定によりまして事前協議アメリカから発議されましても、核を搭載しているというときには非核三原則に よって断固反対、これは毎度申し上げておるところでございます。したがいまして、私たちはやはり、日米の信頼関係におきまして、今後も核持ち込みがないこ と、それは事前協議が行われない以上核持ち込みはない、このことにはいささかも疑念を抱いておりません。

 防戦一方。しかし、「お話があります」と向こうがいってこないんだからその必要が生じていないんだという論理で通す。
 この「タイコンデロガ」というのは米国海軍の空母で、1965年12月5日にトンキン湾を離れ、補修と乗組員の休養をかねて横須賀に向かう途上、沖縄の喜界島沖で水爆を搭載したままのスカイホークが甲板から落ちてパイロット共々水没したという事件で、ひた隠しにされていたこの事故を暴露したのはグリンピースである。(「水爆搭載機水没事件-トップガンの死」ドウス昌代講談社文庫1997年)つまり、水爆がこの一機だけに搭載されていたとはとても考えられず、そのまま横須賀に寄港したということは明白に核兵器が日本に「持ち込まれていた」ことを証明するものとなる。

1994年05月

 1994年05月12日には衆議院本会議で社会党村山富市羽田孜総理(現民主党衆議院議員)に質問している。

村山富市:1969年11月、佐藤・ニクソン会談後の共同声明の背後に、有事の場合沖縄への核持ち込みを日本が事実上認めるという秘密協定に署名されていた事実が、 最近になって当時の佐藤総理の特使によって暴露されました。沖縄では、この4月、二日間にわたって米軍のF15など軍用機二機が墜落、県民の不安は募っているやさきのことであります。直ちにこの席で真相を御報告いただくとともに、羽田内閣はこの密約に拘束されると考えるのかどうか、それともあくまで日本の非核三原則を守るのかどうか、明らかにしていただきたいと思います。(拍手)
羽田孜:1969年の佐藤・ニクソン密約の真相いかんというお話でございましたけれども、これはもう再三私どもの先輩たちがお答えしてきておりますように、御指摘のような密約が交わされたとの事実はないということであります。そして非核三原則、これは当然のことながら、私どもも堅持をしていくということを明確に申し上げておきたいと思っております。

 岡田外務大臣はこの密約のレポートの中にこの回答についてどう考えるか、同僚の羽田孜議員に確認したのだろうか。するわけないだろうが。

 同年05月16日には参議院本会議で日本共産党の市川正一が質問に立つ。

市川正一:この際、総理が12日、衆議院で否定答弁を行った核密約問題についてただしたい。
 第一に、1969年の佐藤・ニクソン会談におけるこの密約の内容と経過の詳細が、1979年刊行のキッシンジャー大統領補佐官の著書に続いて、今回、若泉敬京都産業大学教授の新たな著書で明らかにされ、合意議事録の全文も判明いたしました。また、我が党の上田副委員長は、木村俊夫官房副長官が若泉氏が密使であったと認めたことを先日記者会見で公表いたしました。
 総理は、調査もせずにどういう根拠で交渉当事者の二人と佐藤内閣の当事者が確認をしたこの歴史的事実を否定できるのですか。
 第二に、真田元法制局長官の答弁によれば、国と国との取り決めは、不公表であっても廃棄されない限り拘束し続けるものとなっております。公表された合意議事録の末尾には、その一通を日本側は極秘に首相官邸でのみ保管すると記してあります。たとえ羽田総理が知らなくても、非核三原則に背いて沖縄への核再持ち込みを約束したという重大な内容のこの密約文書を直ちに調査し、国会に報告し、廃棄することを要求し、答弁を求めるものであります。
羽田孜:佐藤・ニクソン会談の密約の内容と経過、そしてこれを国会に報告するようにという御質問が続けてあったわけでありますけれども、御指摘のような密約は存在しておらないということを申し上げたいと思います。
 沖縄返還交渉に際しての核持ち込みにかかわる問題は、日米間で極めて明確に確認されておるところでありまして、密約の当事者とされております佐藤総理大臣自身を含む歴代の総理大臣、また外務大臣が、密約は存在してない旨国会の場で繰り返し明らかにしていることはもう御承知のとおりであります。したがって、御指摘のような調査や報告といった問題はそもそも生じ得ないというふうに申し上げざるを得ません。

 どんな人がどんなことを書こうと発言しようと、ないといったらないんだぁ〜!では論理の破綻だ。これがそのまま通る時代は自民にとっては楽だったし、外務官僚にとっても楽だったんだろうなぁ。

1994年06月

1994年06月13日には参議院予算委員会日本共産党上田耕一郎と喜屋武眞榮がそれぞれ質問に立っている。

上田耕一郎:私は5月20日に、沖縄への核再持ち込みの核密約問題について質問したんです。沖縄でこれやっぱり大問題になりまして、5月31日に臨時県議会を開いて、満場一致で意見書を決めました。内閣総理大臣外務大臣防衛庁長官沖縄開発庁長官、防衛施設庁長官あてです。「一、沖縄への核の再持ち込みと通過を認めるとした密約文書の存在を解明するとともに、非核三原則を堅持すること。二、核の貯蔵地とされる嘉手納基地、辺野古基地の実態調査を行い、その真相を県民に公表すること。」この意見書どおり実行を求めたいと思いますが、首相、いかがでしょうか。
羽田孜:私も、就任いたしまして、御質問等がございました。そういった中で、それぞれの皆さんにこういったものは実際にあるのかということをあれしました。ところが、この間もお答えいたしましたとおり、総理もあるいは外務大臣も、この問題については一切そういうことはないということをずっと明言してきておるということでございまして、私どもはそういったものはないんだということでございます。
上田耕一郎:やっぱり日本は世界唯一の被爆国として非核、非同盟の道を進路として進むべきなんです。核兵器をなくす、軍事同盟もなくすと。南北問題、地球上のさまざまな経済問題についても憲法九条に基づく非軍事のその分野で貢献すべきなんです。そのことを私は世界の世論は最も期待しているだろうと思うんですが、首相にこのことについてお伺いします。
羽田孜:この点については全く賛成であります。

 質問する側も答える側も実に芸のない話で、思わず「お前ら、ふざけんじゃない!」と怒鳴りそうだ。

喜屋武眞榮:次に、沖縄への核持ち込み密約問題についてお尋ねします。1969年11月の佐藤・ニクソン会談後の共同声明の背後に沖縄への核再持ち込みの密約があったとされる問題については、去る5月12日の衆議院本会議、それから5月16日の当院本会議及び5月20日の当委員会において取り上げられましたが、5月31日の沖縄県議会においても非核三原則の堅持と核兵器持ち込み疑惑解明に関する意見書を採択しております。
 そこで政府は、地方の声、国民の声に謙虚に耳を傾けでこのような疑惑を晴らす責任があると考えますが、この件に関して積極的に調査し国民にその真偽を明らかにするお考えがあるかどうか、総理の御見解を承りたい。
羽田孜:この密約説につきましては、もう再三私も申し上げてまいったわけでありますけれども、当事者であったと言われる佐藤総理を含めまして歴代の総理大臣、外務大臣が国会の場で何回もこのことについては皆様の御指摘に対してお答えをしてきたところであります。
 また、沖縄返還に際しましては核兵器にかかわる問題は日米首脳間で明確に確認されておりまして、核抜きの返還の実現したことに何らの疑いを有しておりません。そして、施設の調査の必要はないというふうに考えるわけであります。
 いずれにいたしましても、歴代内閣によって堅持されてまいりました非核三原則、これは今後とも私たちは堅持してまいりますことを、これを御心配する沖縄県民の皆様にも申し上げたいと存ずるところであります。

喜屋武眞榮:最後に、日本の将来の国家像と核廃絶へのビジョンの問題、これは総理にお尋ねします。
 日本の将来の国家像については、普通の国家として軍事的にも大国を目指す方向とか、小さくともきらりと光る国論とか、にぎやかであります。また、政府とりわけ羽田総理は、国連安全保障理事会常任理事国入りに積極的な姿勢を示しておられるようでありますが、これも軍事的役割と無関係ではありません。
 私は、我が国が軍事大国を目指すべきではないことはもちろん、政治大国になる必要もないと考えています。50年前、戦禍の中からよみがえって、自由と人権、平和と民主主義を基調とする憲法を持つ国として、今日の繁栄を築いてきた国民の営々とした努力の足跡を水泡に帰せしめるような国家になってはならない と思います。大国と呼ばれたければ、軍事大国や政治大国ではなく、人道主義と正義に立脚した道義大国を目指すべきであると思います。
 その意味からも、我が国は非核三原則を堅持するとともに、単に将来の核不拡散を目指すだけでなく、既存の核保有五カ国の核をも対象とした核兵器の全面廃絶へ向けて今こそそのイニシアチブを発揮すべき絶好の機会であると考えますが、総理のきちっとした御見解を承りたい。
羽田孜:私どもは、今御指摘がありましたように、非核三原則、これはこれからも大事にしていきたいと思う。しかし、それだけではなくて、よその国が核というものを持つことに対しても反対をいたしますし、あるいは核の実験についてもこれを自粛するように慫慂してきたところでありますし、また核軍縮というものが進められるようにあらゆる場所で私どもはこれを訴えていきたいと思っております。

 これを読めば読むほど虚しい気持ちになるのは、こんな程度のやりとりで、あれだけの歳費を支給されてきたこの自民党政権というものが、実は最も大きなダメージをこの国に与えてきたんだなぁと今更ながらの実態を見せつけられちゃうからなんだろうか。

1996年01月

 1996年01月26日には参議院の本会議でやはり日本共産党立木洋が質問する。今度は相手は橋本龍太郎である。

立木洋:(前省略)その上、許されないことは、沖縄返還に際し、沖縄の施政権返還の交渉を行った1969年、佐藤・ニクソン首脳会談において、核兵器を沖縄から完全撤去するかわりに、核兵器再持ち込みの秘密合意が交わされていたことであります。
 一昨年、京都産業大学若泉敬氏が、密使として日米間で秘密の合意議事録を作成したことをその著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で明らかにしています。その秘密の合意議事録によれば、「重大な緊急事態が生じた」なら「米国政府は核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする」、「日本国政府は」「遅滞なくそれらの必要を満たすであろう」とし、さらに「大統領と総理大臣は、この合意議事録を二通作成し、一通ずつ 大統領官邸と総理大臣官邸にのみ保管し、最大の注意を持って極秘裏に取り扱うべきものとする」という密約内容であります。
 また、昨年の10月に秘密を解禁されたアメリカの外交文書で、「日本政府は(核兵器の存在を)肯定も否定もしないとする米国の政策を厳格に維持することの重要性を強調する」と記載し、米艦船に核の有無は問わないとして、重大な非核三原則に背く態度を伝えていたことも明らかにされています。このときの報道によれば、元米政府高官は、六〇年安保条約調印の際、アイゼンハワー大統領と岸首相が、日本は核兵器の存在を肯定も否定もしないという原則を尊重するという秘密文書を交わしたと言っています。
 首相、これら二つの重大な秘密の真相を明らかにしていただきたい。そして、1960年と1969年の秘密協定が存在するのなら、それは破棄すべきことを強く要求するものであります。
橋本龍太郎:また、沖縄への核兵器の再持ち込み等に関する密約及び核兵器の存在を肯定も否定もしないとする密約があるのではないかとお尋ねがありました。
 沖縄返還交渉に際して、核兵器に係る問題は日米間で極めて明確に確認されているところであり、歴代の総理大臣、外務大臣が密約の存在を否定するとともに、核持ち込みの事前協議に対しては常にこれを拒否する旨国会等の場で繰り返し明らかにしているところであり、御指摘のような密約なるものが存在しないことは明らかであります。
 また、安保条約調印の際、核兵器の存在を肯定も否定もしないとの米国の政策を我が国が尊重するという秘密文書が交わされたといった報道があったことは承知しておりますが、これにつきましても、そのような秘密文書が交わされた事実はございません。

 木で鼻を括ったような、という例え、そのものといういつもの橋本龍太郎の官僚作文そのままという回答である。こういう回答を書いていた外務省の官僚は、今回の有識者による調査で明らかになったように、こうして何回も何回も質問されてまな板に載る案件であるにもかかわらず、関連文書の管理を全くないがしろにしていたわけで、その気持ちが分からない。

1996年02月

 同年02月07日に参議院の「国際問題に関する調査会」で明治学院大学教授の浅井基文がこんなことを話している。

浅井基文:「国民に十分な情報提供が行われているか?」について、簡単に申し上げます。
 以前、私自身、外務省で25年間仕事をしていた感想を反省を込めて申し上げるのでございますけれども、日本における安全保障政策についての議論という のは、もう常に一貫して極めて不透明であり、国民に対して不誠実であったというふうに非常に自戒の念を込めて申し上げざるを得更せん。
 その典型例をそこに幾つか出しておきましたけれども、非核三原則を言いながら核を持ち込ませる、密約を行う、もちろん政府はそれを否定いたしますけれども、非常に状況証拠としては限りなくクロに近い状況がある。

 元外務省官僚が「反省を込めて」いっている。

<この項つづく>

*1:沓脱タケ子:1922年7月7日 - 2005年6月10日 大阪府出身。大阪女子高等医学専門学校(現関西医科大学)卒業

*2:倉成正:1918年8月31日 - 1996年7月3日 第3次中曽根内閣の外務大臣。元自民党衆議院議員倉成正和は長男。特に外交通というわけではなかった倉成が外相として起用されたのは、中曽根が自派の議員である倉成を外相とすることで外交を一元的に掌握することを狙ったことに加え、倉成が郵政族議員として通信政策に通暁していたため、外務省の通信網整備を実施させるためであった。(ウィッキペディア)

*3:上田耕一郎:(1927年3月9日 - 2008年10月30日)日本共産党不破哲三(本名・上田建二郎)は実弟。旧制一高-東大

*4:西原正:1937年生まれ 京都-ミシガン大学大学院政治学研究科にて修士号および博士号(1972年)取得。1973年(昭和48年)より京都産業大学助教授、1975年同教授。1977年(昭和52年)より防衛大学校教授。この間ロックフェラー財団研究員(1981-1982年)、防衛研究所第1研究部長(1993年-1996年)、防衛大学校社会科学教室主任(1997年-2000年)、小泉純一郎総理の私的懇談会「対外関係タスクフォース」(2000-2002年)のメンバーを務めた。2000年(平成12年)から2006年(平成18年)まで第7代防衛大学校校長- 2008年(平成20年)11月:瑞宝重光章受章(ウィッキペディア)