ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

リユニオン

 昨日は、30年前に北アフリカリビアでの工事に取り組んだチームの集まりが新橋であって、24人が集まった。最年長が85歳で最年少が53歳かな。すでに他界されている方が3名に及ぶ。丁度15年前にも一度集まったことがあったのだけれど、私は全く忘れていた。多分その直後に海外に赴任したので、そっちの方の強烈な思い出に消されていたのかもしれない。同僚と話しているうちに想い出した。そうだ、そんなことがあったなぁと。
 何年か前にある人のお葬式でお会いした大先輩がとてもぐったりしておられて歩くのもままならない雰囲気で、一体どうなさったのかと不安だったのだけれど、今回お逢いしてとてもお元気なので驚きつつも、良かったなぁとホッとした。
 このプロジェクトには私は実際に工事が始まる頃に呼ばれ、丁度2年後に解放されたけれど、実際にはこのプロジェクトは商社からの情報に基づいて応札準備を始めたところから始まって、すべての建機を片付け終わるところまであったわけで、私はほんのちょっとだけの期間のお手伝いにすぎない。商社も一部分を受注して国内の建設会社と取り組んだ。
 この類の工事に取り組む時には現地を仔細に調査すればするほど実際に発生するであろう経費に現実感が出てくるけれど、現実にはそんな時間もないし、費用もかけられない。そうするとどれほど工事にあたって発生するであろう項目に想像を働かすことができるか否かに掛かっているといっても良いだろう。だから随分前から仕事が始まっている。
 私はさぁ動くぞというあたりでチームに入った。どんな仕事になるんだろうかとスタディを始めたあたりで先遣隊が帰ってきて報告をする。当然街中に工事事務所を構えるが電話からテレックスから準備をするのに振り回され、辺り一帯の写真を撮ったら地元住民に囲まれ、モスクを写真に撮ったか撮らなかったかで揉めて、フィルムを抜かれたという話を聞いて暗澹たる思いだったことを覚えている。それまで輸出が低迷していた時期で、やる気を失いかけていたけれど、大変な仕事に眼が眩みそうだった。
 現場にいってみると想像以上にカダフィ独裁が強いのに驚いた。空手の映画が街にわずかな映画館に掛かる。映画の始まる前にカダフィの演説が上映されちゃう。街中に工事現場の安全第一の旗のような緑一色の旗ばかりが掲げられているのはなんだろうと思ったら、それがリビアの国旗だと聞いて唖然としたりした。街中に日の丸がまるで運動会の万国旗みたいに張り巡らされていたらなんと気持ち悪いことだろうか。
 現場はもちろん360度地平線の砂漠のど真ん中にあって、初めてそこに出掛ける途上で休憩した海辺の街のガソリンスタンドでトイレに入ったら、そりゃぁ汚くて涙が出そうだった。しかし、当時のこうしたチームには体育会的な打たれ強さが必要で、そんなことを口になんて出せるかという意地が働く。私は結局風邪を引いて北朝鮮の医者が診察する病院で貰った抗生物質でかなり苦しみ、心配した現場のマネジャーから帰国をいわれ、半年で帰ってきた。それからは東京で「オイ、なんで帰ってきたんだ」といわれながらフォローを仕事にしていた。
 帰国途上でアンカレッジでの給油中にストローハットなんてものまで買って、浮かれて帰ってきたものだった。たった半年の工事サイトでの滞在だったけれど、その後の私の人生には相当大きな影響を及ぼした仕事だった。
 近いうちにみんなで現地を訪ねようかという話も出ていたけれど、個人旅行にまだビザは下りないようだから、難しいかもしれない。ツアーであれば観光旅行に行くことは可能だけれど、入国にあたって1000ドルを持っていることを求められているらしい。どういう意味だろう。入国してそのまま現地で仕事をやろうとする移民が発生する可能性があるということだろうか。
 あの国はイスラムの国だからアルコールは許されていない。カダフィ以前はそれでもその辺の規制は適当だった。しかし、カダフィ以降はイスラムの戒律に原理主義的な建前の中にいる。私たちは砂糖水にドライイーストを振りまいて発酵させ、それを呑んだ。そんな侘しい酒はまだ廃っていないらしい。中にはドライイーストがなくたってパンを砕いて入れればいいという。なるほど、あれはイーストが入っているもの。懐かしく、侘びしい思い出だ。