ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

パソコン

 とにかくいつ買ったのか覚えていないけれど、1995年6月に豪州のSydneyに行った時、私は二台のアップルを持っていった。ひとつはモニター一体型のLC520でもうひとつはクルクル回るボールがついていたPowerBook150という奴だった。150はプリンターと一緒に機内に持ちこんでいった。520は引っ越しの荷物と一緒に船便で運んだ。
 「二台持ちこむ」といったら「課税されたときは自分の責任で負担せよ」という返事が来たのには驚いた。驚いたけれど、どうも事前のやりとりでは行く先の小さな事務所にはパソコンそのものがあるのかないのかわからない。行ってみたらないことはないのだけれど、二代前にいた人が導入した古いものでもう誰も使い方がわからないというものだった。もったいないなぁと思ったけれど、私は当時の機械は全然わからない。それに仕事がラップしていないので、下手に触りたくなかった。
 当初はファックス線を外して繋げていたけれど、そのうちに専用の電話線を引いて貰って、自分の費用でプロバイダーと契約してモデムを介して繋げては東京とのメールのやりとりをした。なんで自分の費用で繋げていたのかというとその小さな事務所ではネットでメールのやりとりをすることが理解されていなかったからである。
 誰もネットに接続するという意義を見いだしてはいなかったのでどんなにその必要性を説明しても理解されなかった。今から考えてみたら黎明期だったということなんだろう。
 その内に東京も社内ネットワークが一気に構築されて周辺にもその波が及んできた。今から考えると毎月の定期的やりとりが一気に楽になった。それまではファックスでやりとりしていたのだった。
 当時良く論議されていたのはそれだけネットワークの構築に費用を費やしてどれほどのメリットが生まれるのかという点だった。得てしてコスト・マネージメント的に語られるわけで、いつも、それじゃ、今のまま、つまり、ファックスと電話、で良いではないかという結論で押し切られていたような気がする。
 早くて簡便で間違いのない伝達に、既成の方策との差をコストで表すというのは難しい。ひょっとして今度のテレビの地上デジタル化にもそれと同じ論理が存在するのだろうか。