ほぼ足りてまだ欲 その先

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カトリック

f:id:nsw2072:20190706160528j:plain:w360:left 友人の奥さんが天に召されたのはいつだったか、まだ一年は経たない。カトリックの教会で、この一年間に昇天された人たちのための礼拝があった。参列して欲しいとかねてからいわれていたので、小糠雨がチラチラとする中、四谷まで行った。とても大きな教会で、横に広くて、二階席まである。多分クリスマスやイースターの礼拝の時には二階までいっぱいになるのだろう。とても大きな、天井の高い建物なので、残響はとても長く、一応マイクがあるのだけれど、牧師さんがお話になると、残響甚だしく、ほとんど良く聞き取れない。私の耳が悪いということもあるから、手を耳にかざして聞き取ろうとするのだけれど、あんまり聞き取れない。八分目ほど席が埋まっていてこれだから、満席になってもあまり変わりはないだろう。
 先日たまたま日曜日に遭遇したので、礼拝に与った聖グレース大聖堂も大きな天井の高い建物で、長い残響のある教会だったけれど、ここのPAシステムはいったいどうなっていたのか良くわからないのだけれど、説教の言葉は実にくっきりと聞こえていて、どんなスピーカーをどんな具合に設置されているのか、不思議なくらいだった。
 多分あそこの教会の人たちはこの残響をわかっているのだろうけれど、どうして良いのかわからないでいるんだろうなぁ。
 ところでその追悼礼拝だけれど、配られた式次第には、全ての礼拝のやりとりや、読まれる聖書や福音書の文章が全く掲載されていない。良く聞こえないのだから、聖書、福音書が読まれても聞こえるわけがない。礼拝中の牧師と会衆とのやりとりも記載されていない。
 私の関係ある教会や、その宗派の外国の教会でも、普通はすべてが記載されている。生まれて初めて来た人でも、今どこが進行中なのかわかる。それでなくても信者が少ないんだから、初めての人でも迷わない、そんなやり方を考える必要がある。
 聖体拝領もあったけれど、なんとパンを戴くだけで、ワインがない。プロテスタントでは普通の主日礼拝では聖体拝領はやらない。クリスマスやイースターの礼拝の時に、行われる。至ってシンプル。
 それが聖公会では毎週聖体拝領がある。その聖グレース大聖堂では、その時、本当にパンをちぎって与えられるのには驚いた。生まれて初めてだった。
 なくなったその奥さんの名前が呼ばれたときにはなぜかくっきりと聞こえた。それにしても女性の洗礼名のほとんどが「マリア」がらみだったのは驚いた。

 うちから四谷へ行くとすると、これまでの私の常識は神田で銀座線からJRの中央線快速に乗り換えるという奴だ。多分これが一番にまでも速いだろう。
 しかし、帰りに四谷で気がついたのはここには南北線が通っている。南北線はほとんど利用することがないから、頭の片隅にも残っていない。しかし、多分これなら白山の近くに駅があるはずで、これでバスに乗り換えるという方法があるなと思いつく。しかし、乗っているうちにgoogle mapを見ていると、そうだ!後楽園で降りて、春日から大江戸線に乗り換えれば上野御徒町へ出られる。しかも行ってみたら、この乗り換えだって、そんなに駅は離れていない。ひょっとすると外国人観光客の方が良く知っている可能性がある。