ほぼ足りてまだ欲 その先

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Merry Christmas to All !

 クリスマスである。もうここに何度も書いたことなのだけれど、また書いてしまう。クリスマスが来ると必ず思い出すことなのだ。それは、私が小学校の低学年の頃の出来事だ。当時、なぜか知らないけれど、私は日曜日になると近所のキリスト教系の女学校の教会で開かれる日曜学校に行くのが日常となっていた。毎週日曜日が来るとおふくろから穴の開いた5円玉(未だにあのままだが、穴の開いてない5円玉ってのもあったことを今思いだした)を貰ってそれを持っていき、虫取りの網の部分を黒いベルベットでつくられたやつを突き出されて、そこに5円玉を入れるのが嬉しかった。そして帰りには小さな、絵が描かれたカードを貰って帰ってくるのだった。私にとってはどうもそれだけの想い出しかない。
 で、あとの大きな記憶というのがクリスマスだ。その女学校には木造の、今から考えるとたいしたことはないのだけれど、子ども心には大きな講堂があった。そこにはちゃんとステージと呼べるような段があった。クリスマスになるとそこで子どもたちのお芝居が演じられる。それは今でも教会の子どもたちが演じるような三人の博士が星を見つけてやってくる場面だったり、宿屋の厩だったりするのであるけれど、私に与えられた役はどうもけっこう台詞の多い役だったらしい。
 その頃から人前で目立つことが好きだったのか、そんな役を引き受けたのか、あいつだったらできるだろうという誤解を生んだのかどちらかだ。もう何週間も前からそれは決まっていたはずだ。それなのに、私は練習ができていないから日曜学校をサボったのだ。行かないと練習ができないのに、そのための準備ができていないから行かなかったのだ。なんだか、そんな繰り返しが今でも私の中に存在していて、同じような状況に今でも立っていることが何回もありそうだ。
 で、結果としてクリスマスの当日も行かなかった。つまり、穴を開けたのだ。するとどうだ、教会のお姉さんがうちまで来ちゃったのである。引っ張られるようにして現場に行ったのだ。忘れもしない。ザワザワとした中に私はその講堂のステージに立っていた。私と台詞のやりとりをする相手の子はすべての台詞が頭に入っているだけでなくて、振りまで完璧で、あまつさえ衣装なんぞまで着込んでいるのである。私はそのままの格好だ。あれは一体何の場面だったのだろうか。で、彼は自分の台詞を言うと、それに答える私の台詞を小さい声で私に言うのである。つまり彼は役をやりながらプロンプターまでやっていたのだ。ひょっとすると彼は長ずるに及んで役者になったかも知れない。
 それ以来私はあそこの女学校に足を踏み入れた記憶がない。だから今の教会で子どもたちが何かをやるのを見ると、気の毒でならないのだ。