ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

遊び場所

 清水の戸田書店が年に一回出している「季刊清水・44号-2011」。
 この号で特集されている「有度山」というのはいわゆる日本平のことだ。日本平といったら上から見た富士山が有名で、あそこまであがったら誰が写真を撮っても最高の構図で三保湾とその先に浮かび上がる富士山が撮れちゃう。
 何しろ小学生の私がうちにあった蛇腹のカメラで撮っても上手い具合に撮れちゃったのだ。小学校の4年二学期に三保の折戸に引っ越した私は三保小学校に通っていたから学校から帰ってくると友達と連れだって自転車で久能山までいって階段を駆け上がったり、日本平のハイキングコースをちょこまかと上ったりした記憶がある。週末にバスであがったり、学校からの遠足であがったりもしたことがあるけれど、日常的に遊びで登っていたのだから子どものくせに行動半径はかなり広かったんだなぁと驚く。
 長ずるに及んで三保の会社に勤めていた頃はイベントであの頂上にあった観光ホテルでパーティーを開くことが年に数回あってその準備に何回もあがったり降りたりした。それも1972年に清水側から有料道路ができてくるまであがりやすくなった。遠来のお客さんをバスに乗せてあがっていくと、眼下に清水の街から三保半島越しに富士山が見えたりすると「わぁ〜」と歓声が上がって妙に誇らしかったことを覚えている。
 あのホテルのバンケットの担当者の人は頭をオールバックにし、物腰が柔らかくていかにもホテルマンという雰囲気の方で、何があってもおろおろせずに処理してくれてとても助かった。
 あそこにお狩り場焼き・野鳥の家という各種の鳥料理を食べさせる店があって、雀を焼いたものをばりばりと食べたのは随分昔のことだ。先日テレビで京都・伏見稲荷門前町でそれを食べさせる店をやっていたので思いだした。
 清水を離れてもう40年近くになる。あれから一回も日本平にあがったことがない。新幹線で年に一回だけ通りかかる度にあっという間に日本平は遠ざかる。清水エスパルズの本拠地ピッチもいったことがない。あの有料道路ももう無料の道路になっているそうだ。