ほぼ足りてまだ欲 その先

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清水

 私が清水に暮らしていたのは小学校4年の夏休み明けから中学1年を終えるまで。つまり、3年半に過ぎないが、その後大学を卒業してから5年2ヶ月ここで暮らしたので、合計すると8年8ヶ月になる。一方、東京に暮らし始めてからは、今年で41年になる。横浜には生まれてから大学を卒業するまで(途中清水に行っていた3年半の空白がある)暮らした。
 小学校が三つ、中学校ふたつの経験でわかるように、あちこち歩いたわけだけれど、三番目に長い期間を過ごした清水の思い出がどんどんかすれていく。なんとなく寂しいものがある。あのどよぉ〜んとした、なんとものんびりした、ある意味寂れた感がぬぐえなかった街の記憶がかすれていくのを何ともできないでいる。
 小学生の頃の三保の表通りは、三保街道と呼ばれていたのだけれど、この道は道路の幅一杯に舗装できていなかった。多分とりあえずの工事で、車が通る上下一車線分だけの舗装だった。両脇は未舗装のままに残されていて、そこを人が歩いた。ところが自転車はその未舗装部分を走るのはガタガタしていてとても厄介で、どうしても舗装部分を走りたい。しかし、子どもが自転車で走っていると、後ろから来る車が警報を鳴らして追い抜いていくのがとても怖かった。近所の同級生の女子を後ろに乗せて、ひっくり返ったことがある。良く轢かれなかったものだ。そういえば彼女はどうしているのだろう。お父さんが亡くなったのも知らなかったし、お母さんが亡くなったのもいつだったか想い出せない。そういえばうちのおふくろの葬式に来てくださったけれど、彼女が云うにはお母さんは当時も薄手に認知症を患っているといっていたけれど、とても元気そうに見えた。
 三保街道は清水の町の方から来て、駒越を左に曲がり、折戸あたりをかわすと、正面に富士山が見える。これがとっても印象的だった。清水の人たちの富士山は右側に宝永山の稜線が綺麗に伸びた富士山で、山梨から見えた富士山が裾野が見えないものだから、一体どこの山かと思ったことがある。