ほぼ足りてまだ欲 その先

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私物化の歴史

 人間社会の歴史というのはすべからく地球上に存在するものの私物化の歴史以外の何者でもない。ただ、それが自ら生産するという天に唾することを始めてから人間は独占するということの美味しさを知った訳だ。
 自然に存在するものを必要に応じて消費していた時代にはそれを私物化しても、独占的に捕獲してもすぐに破綻を来すことがわかっていた。だから、私物化する分量も必要最小限にとどめることが「利」であるとわかっていた。
 ところがそれを保存することができる技術が発見されるにつれて、それを自分のものにすると後で美味しいことがわかってきた。権力を握り、人を支配し、自分の思うままに何事も動くことが快感になっていく。つまり権力・財力を握るということは非常に単純なことであって、知的な欲求ではなくて、しごく本能的な欲求なのだろう。
 財産をかき集めることができるとそれに群がる人々が現れてくる。するとそれがひょっとして権力というものなのかもしれないという錯覚に陥りやすい。すると、「金を集める」ことこそが最大の武器だ、ということになりやすい。そういう連中が表面を繕ってばれない様にしながら金集めに奔走する。しかし、それが金集めだとわからない様にやらなくてはならない。それが人間の歴史だ。
 それがばれてしまうと人民の怒りを買い、転覆されることになる。ところがそこが人間のバカ、そのものなところで、転覆することができると、あれ?ひょっとしてこれが権力なの?と思い込む。そして同じ穴の狢となる。
 アベシンゾーは今どこにいるんだろうか。表面を繕うことはうまくいっていることは間違いがない。しかし、いつ破綻するんだろう。日本国民はいつ馬鹿でいることをやめるのだろう。多分やめないんだろうな。歴史を見ているとず〜っと馬鹿で来た。馬鹿でいるのは気が楽だ。