ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

孤立

人間はコミュニケイトする動物です。そう言う能力を持っています。いや、逆に言うと、たった一人で生きて行くことができない動物だといっても良いかもしれません。動物の中には、生まれた時は親の保護を受け、そこから誰も彼もが独立して行って、単独で生きて行く、と言う種族は少なくないかもしれません。しかし、人間はそれはたいそう難しい。そんな風にして生きてきた人というのは、相当無理強いされたのか、あるいは、そうせざるを得ない状況に追い込まれてしまったか、ということではないか、という気がします。

 イヤイヤながら一人で生きるというのは相当に辛い。他の人たちと同じような行動を取ることができない、その結果孤立してしまう。

 しかし、孤立して生きるというのは、相当に辛い。それを続けざるを得ないのは常にそのつらさと直面しなくてはならない。何を糧にそれを続けることができるのだろうか。想像を絶する状況だ。そこから這い上がるにはかなりなエネルギーを必要とする。そんなエネルギーはどこから発することができるのだろう。

 多くの人とつながるということはそれだけタフでなければできないわけで、そのタフさは何が要因なんだろう。不思議なことに、それができる人にとってはなんということがないことなんだけれど、それができていない人にとっては、ものすごく高い塀に見える。

 そのタフさの中には、感覚的に鈍くなることによって得るもの、というよりも、鈍くなって無視しているという「タフさ」というものがあるのではないのか。

 感受性が豊か、ということにはあまりにも受け取ってしまう情報が多すぎて、がんじがらめになってしまうという状況もあるのではないのか。それを人間としての弱さという表現をする人もいる。弱いのか、あるいは感じ取る能力に長けているというのだろうか。相反する表現かもしれないけれど、能力そのものとしては同じことかもしれない。

 自分より弱い存在に対する圧倒的な力の誇示がその能力を打ち消す効果をもたらすのではないのか。身体的な弱さ、立場的な弱さ、その弱さをあげつらうことで消してしまう効果。

 弱いものをとことんやっつけようとする。

 あ、一般化しすぎて何が何だかわからないか・・・・