ほぼ足りてまだ欲 その先

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記者クラブ

 総理大臣の記者会見がオープン化されたそうで、昨日の記者会見はその記念すべき第一回となったわけだ。NHKはテレビで生中継していた。内閣記者会の今月の幹事が誰なのか知らないけれど、朝日の記者が「この記者会見は内閣記者会の主催」だと発言し、多分に私の主観かもしれないけれど、内閣記者会の温情によってオープン化されたんだから、調子に乗るんじゃないぞとでもいわんばかりのニュアンスが言外にあって、はなはだ不愉快なものだった。それにしても記者会見では各社の記者がまるで韓国の記者会見のようにパシャパシャとキーボードを叩いている奴がいて、その雑音がマイクに拾われて聞きにくかった。もうちょっと環境を整備して欲しいものだ。日本の記者会見を見ていると皆さんICレコーダーを駆使しているようだけれど、なんで韓国ではみんなパソを打っているんだろう。音声録音が制限されているだなんて前時代的なことなんだろうか。
 前時代的といえば日本の裁判所の閉鎖的な運営もどうにかならないものだろうか。写真、メモ、録音、されて何が問題なんだろうか。

 かつて仕事でいくつかの経済部記者が詰めている記者クラブに出入りしていたことがある。記者クラブがあることによって媒体に書いて貰いたい側にとっては結構便利をしていたのだ。企業が発信しようとする場合、今だったらこれだけネットが普及しているのだから、ホームページを構えてそこに発信したいニュースを掲載することができるし、今やメルマガだ、ブログだ、twitterだとどんどん発信ができるけれど、かつてはこうした記者クラブに資料を配付して、問い合わせに応えて書いて貰う、あるいは放送して貰う以外に方法がなかった。
 だから記者クラブは大変に貴重だったという過去がある。もう殆ど忘れてしまったけれど、多くの企業がある業界を担当しているクラブだと毎日どんどん資料が届けられるから、予告ということをしておかなくてはならない決まりがあるクラブすらあった。しかし、クラブにはタイトルと発表日時が黒板に書かれたら、それに関する記事は発表まで書いてはいけないというルールになっている。これにフライングして記事にしてしまうとその新聞社はクラブに出入り差し止めになる。つまりこうしておけば全紙に記事が一斉に書かれるということになる。出入り差し止めになってしまうと、その社はこのクラブで発表されたり、共同会見があったりすると外されるということになる。
 新製品の発表ではクラブに予告をしておいて、宣伝は平行して準備が進むのだけれど、この広告が新製品発表に先駆けて掲載してしまったりすると、しばらくクラブで相手にしてもらえなくなる。だったら新聞にわざわざ書かせんなよ、という意味である。だから媒体対応と宣伝が分かれているような企業では慎重にスケジューリングする必要がある。
 経済部がらみでもこんなことがあるのだから、政治部絡みや社会部絡みだと、クラブの約束に反してしまったら、特落ちしてしまうことにもなりかねない。だから、現場の記者はしっかりと与えられるネタを与える側の意図をくみ取って書く、ということになるわけだ。
 経済部だとイニシアティブを取っている中心企業の社長交代劇が匂い出すと丁々発止の争いとなる。夜討ち朝駆けと称して周辺取材に走り回る。こうなるとネタを握った社は知らんぷりしながら周りの状況を観察する。どこか他が書きそうな雰囲気を察した時には多少の憶測が混ざっていても書いてしまう。
 悲惨なのは悲劇的な経路を辿っている企業をどの時点でどの様な状況にあるのかを断定するのかというタイプの記事だ。少年探偵団と呼称されていたある新聞社ではフライングして会社更生法申請だったかを記事にしてしまい、カツカツで残っていたその企業の留めを刺してしまったという過去があると噂されていた。だから、その社はこの種のネタについては特落ちしても良いから最期まで見届けて書けといわれているんだとまことしやかに説明された。
 経済部がらみだと、いわゆる業界紙というジャンルのクラブも存在する。こちらは一般紙の記者と違って、担当者はず〜っと変わらないから、双方相身互いという雰囲気に充ち満ちている。「これは書かないでね」といったら、時期が来たらその人だけに詳しくレクチャーするなんてこともある。
 子会社の合併ネタを握った某社の記者が確認の電話をかけてきたことがある。「書くよ」という。彼がどれほどの事実を握っているのか分からない。「それならそれでしょうがないけれど、あぁたも間違ったことを書いたらまずいんじゃないの」と揺さぶる。役員会でまだ最終決済が下りていない企画である。一体どこから漏れたんだろう。急遽役員会を開いて貰いたいと具申する。そうは行かないのが企業の役員会である。電話を返す。「じゃ、いってみてよ、あってたら“ウン”間違っていたら“いいえ”っていうから」と交渉する。彼はひとつひとつ読む。全部“ウン”だった。翌朝早朝出勤途上の駅売りで確認すると一面の真ん中に収まっていた。トップでやられることなく、真ん中は駅売りで折り目のところに来るのでひとまずまぁまぁかと思いながら出社し、急遽会見の予定を進めた。集まってきた各社の記者は面白くなさそうだった。
 この抜いた記者はその後、経済評論をやり、多分今は某大学で教鞭を執っていると聞いている。
 経済部でもいろいろあるのだから、政治部の記者クラブ(例えば内閣記者会)が如何に外部に対して閉鎖的だったのかというのは充分に感じられるところで、警察、検察の記者クラブは余計に第三者の存在が希薄だからクラブの縛り、クラブを通しての警察、検察の縛りはそれはそれはうるさいことになるのだろう。だから、マスコミが警察、検察を批判することはとてもできない理屈である。いくらそんなことはない、われわれマスコミは大いなる批判精神を持って偏らない報道を心がけているとはいっても、それを実行したら大変なことが起きるはずだ。
 警察、検察が取材をオープン化することができたら、きっとこの国の隠された部分がボロボロと出てきて、あぁ、俺たちは本当に何も知らされないで暮らしてきたんだなぁと感慨にふけることになるんだろう。
 こういう状況を言論の自由がある、と解釈するのか、はたまた、統制されていると解釈するのだろうか。