ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ほくそ笑んでいるのか

 毎週末が過ぎて月曜日が来ると、必ず週末に銀座で場所を表すブロンズ看板の上に猫をのせる奴がいて、通行人が集まってその猫を写真に撮ったものがアップされる。
 もう夏頃にはこの猫に私は気がついていた。それから、ずっとあたかも毎週のようにそれが繰り返されている。猫が喜んでいるのかどうか私にはわからないし、猫は迷惑がっているのだったとしても、村上春樹の小説のように猫が喋っているのを理解できる訳じゃないから、なんともいいようがない。
 しかし、人が集まってくるのを喜んでいる奴がいることは明白で、そいつのほくそ笑む姿を想像するとなんとも面白くない。ひょっとすると、その猫をそこまで連れてくるのがホームレスの人だったりして、自分が誰からも注目されない分をその猫に託していたのだったとしても、やっぱりその感性は寂しいものがあると思う。
 むしろ、そんなところにのせられちゃっている猫をみんなで取り囲んで携帯電話をかざして写真に撮っている連中の何も考えないわぁわぁ主義が腹立たしい。
 これは43歳の海上保安官にエールを送るバカどもの何も考えないさまと正にダブル。かれはただただおもしろがってアップしたに決まっていて、その役割をキチンと振り返ることもせずに直情的にアップしたことは大変に大きな問題である。彼は海上保安庁という国家組織の中にいて、国家が公開方針をとっていないにも関わらずそれを命令系統を無視して公開してしまったわけで、国家公務員としての義務を全く無視。これは2.26事件の軍に相当する国家公務員としての公務無視である。
 これをもて囃す一般大衆の声をそのままの評価基準として、もしこの公務員の罪を甘い処分で済ますのだとしたら、これは大変に大きな禍根を残すことになる。
 それでなくてもマスコミは自らの役割を放棄して、国家機関の言いなりになっていることが明白になっているにも関わらず、一般大衆(私たち)が「そんなに大げさなことじゃねぇよ」と放置して行くままに流されていくのだとしたら、この国はもはや愚民政治そのものに陥って、気がついたらとんでもない事態を招いていることになる。
 尤もその時にはその一般大衆(私たち)はなんにも気がつかない訳だから困ることはないのだろう。
 何が悔しいといって、何も気がつかないまま、一部の人間が美味しいミツを自分たちだけで分配していることに気がつかないのが悔しいのだ。