ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今日の映画

 今週はいくつかみたい映画がある。地下鉄に飛び乗って渋谷へ。「Taking Woodstock(邦題:ウッドストックがやってくる!)」という映画。
 明治通り添いの宮下公園の前の角にできたビルの7-8階にヒューマントラストシネマ渋谷という3スクリーンの小屋ができている。ヒューマントラストシネマというのはテアトルシネマの一つで、有楽町にはイトシアの中にある。シネセゾンなんかも一緒のグループだ。ここは変わった小屋で取り敢えず8階で切符を買って、7階へ。ちょっと面倒。入ってみたら200席ほどなんだけれど、スクリーンに対して左が膨らんでいる。ちょっとわかりにくいかも知れないけれど、要するに左右がシンメトリックでないのだ。スクリーンに正対して観ようとすると右に寄っていく。左端に座るとスクリーンを斜めから見る具合になっちゃう。平日の朝11時の一回目。観客は20名ほどでほぼシニア年代。中身が中身だからかなぁ。なにしろ「ウッドストック」だからね。
 中身は全部ほぼ事実で、登場人物も殆ど実在の人物。
 冒頭から滅滅としてしまいそうな田舎の話で、苦労して逃げてようやくアメリカにやってきたという白系ロシア難民の両親がやっている今にも潰れそうなEl Monaco Motelというモーテルの面倒をみている息子のエリオットはこの田舎町の商工会議所のプレジデント。今回のミーティングに出てきたのは婆さん3人と夫婦者だけ。地元の音楽フェスティバルをやることにして1ドル払って許可を取る、といってもその出席者のうち二人が賛成して成立。他の村で大フェスティバルをやる計画が地元の反対、ヒッピーだらけになる、で宙に浮いたことを新聞で読んで、招聘。牧場の持ち主は5000ドル出すならやらせると成立。ところが牧場の持ち主はことの大きさに気づいて使用料を75,000ドルに引き上げる。そこからどう決着したのかわからないけれど、ヘリコプターが飛んできてあっという間にあのウッドストック・フェスティバルが始まる。
 何せあの時期の話で、あのフェスティバルだから、田舎の人たちにとっては大ショックだ。しかし、エリオットの両親の英語にロシア訛りがあるように聞こえないんだけれどなぁ。冒頭に登場する何をどう間違えたのかこのおんぼろモーテルに泊まろうとする英国人がとても奇妙だ。そのうえ、大きな納屋にはいつも腹を空かせているエキセントリックな演劇集団が登場する。何かというと人前で直ぐ裸になる。そういえばあの頃、人間を解放するといっては洋服からも解放するといったっけなぁ。なにしろ女性はブラジャーからも解放されるべきだといっていたっけなぁ。
 そうそう、あのフェスティバルは途中で雨が降ってぬちゃぬちゃで、みんな滑りまくっていたっけ。あの記録映画を見るとそんな場面も出てきたものだ。
 私があの記録映画を見たのは翌年の1970年の9月か10月のことで、見たのはSeattleだった。長い映画で、見終わって出てきたら夜も更けていたけれど、腹が減って、泊まったホテルの向かいにあった24時間営業の店でバーガーを注文して気がついたら、その店の中にいた客が全員白人の男ばかり。爺さんはひとりでぶつぶつ言っていてなんだろうなぁと思って聴くとはなしに耳を傾けてみると「World War Second・・・」どうのこうのなんてことをこっちを見ながら。若い奴が3人ほど向こうの方にいてこっちを見ながらヒソヒソやっているなぁと思っていると、ひとりが外に出て行く。なんだか嫌な雰囲気で、そうでもなかったのかも知れないけれど、気が気じゃなくて、ようやく出して貰ったバーガーを飲み込むようにして喰って出た!あの映画を思うと、必ずあのハンバーガーが出てくる。
 そういえばWoodstock Festivalの25周年記念イベントというのが1994年8月に、最初の会場になるはずだったSaugertiesという村で開かれた。この模様は当時NHKで生中継された。やはりこの時も雨が降り、みんな濡れながらわぁわぁやっていたが(こういう時の雨は不思議なことに一体感を促進するのだ)、上半身裸の女性がそのままNHKの画面に大写しになってしまったことを覚えている。
 そういえば当時の記録映画では真っ裸で泳いだりしている人たちの様子は映画上ではぼかされていたのだけれど、この映画では全くそんなことはされずにもろ出しだ。なんだかおかしい気がしない。
 特筆するべきなのは、なにしろこの映画は現代に作られたという点だ。何いってんだ、といわれそうだけれど、それはこういうことだ。
 当時はマリファナLSDもこうしたヒッピー・ムーブメントの中ではなくては話にならないという時代だったけれど、もちろん表の世界では御法度だった。カリフォルニアですら、時々通りでそれらしい若者が乗っているそれらしい車(フォルクス・ワーゲンのvanとか)が警官に止められてトランクから何から開けられていた。それでもそうしたミュージック・シーンにいったらそこここでマリファナの煙の匂いが立ち上っていた。それも吸うだけではなく食べてしまったりするのである。この映画でも両親がそれ入りのブラウニーを食べてしまって、二人してハイになってしまう場面が登場する。
 そうしてとても綺麗に色が見えて、それが動くように見えたりするところを再現することは当時はなかなかできなかった。だから、水の上に油を落とし、攪拌して、それをステージの後ろの画面に映し出して見せたりしてなんか近いものをと演出したりしたし、映画「Easy Rider」ではなんとか雰囲気を出そうとしたりしたけれど、そりゃ所詮無理だった。それがこの映画では今の映像技術をもってしたら、お茶の子さいさいなんである。古い表現だけれど。
 ヒッピーのことを私たちは「ピーヒツ」だなんていったりしていて、通りで彼等から煙草をねだられたりしながら、ちょっとかすった生活を送ったりした、あの時期がまざまざと蘇ってきた。そういう点ではこの映画は私にとっての回想法だったりもするのだ。