ほぼ足りてまだ欲 その先

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カウラの桜

今週のお題「桜」
 桜というと即座に思い浮かぶのはやはり染井吉野である。何となく子どもの頃から、この桜こそが本物の桜なんだという思い込みというか、刷り込みがされていたような気配が濃厚である。いや、あの頃はもう桜=染井吉野という公式が成り立っていたのではないだろうかと思う。
 小学校に入学した時のクラスの集合写真が今どこに保存してあるのか、わからないのだけれども、四宮先生が担任の私達の四組が平屋の木造校舎の前で緊張して映っていたあの白黒写真にも桜の木が傍にあったような気がするのだけれど、それは多分自分で勝手に作った映像じゃないだろうか。
 その小学校の校歌には「山櫻」が歌い込まれていて、なんとなく、他の木に混ざって一人華やかに白っぽい花を咲かせている「山櫻」を思い浮かべながら歌っていたのだけれど、そんなことを考えていた小学校の低学年の坊主というのはどんなものだろうか。
 そこから先、あんまり桜との色濃い思い出を持った憶えはないのだけれど、1995年の10月頃のことだったのか、11月頃だったか、シドニーの日本人会から送られてきたチラシに「カウラ」への桜植樹と日本フェスティバル参加・一泊バスツアーというものが掲載されていた。
 日本にいた時は全くカウラなんて地名を聴いたこともなかったけれど、豪州に詳しいニフティの方から、カウラという場所がどういうところで、何があったところで、どんな事件があったのかということを教えていただいた。
 その時に私達は桜並木に一本の八重桜を植樹した。そうやって一本ずつ増やして並木を延ばしているのだそうだ。カウラは日本とは切っても切れない街だ。しかし、そうかといってどれほどの日本人に認識されているのかといったら,そう多くは望めない。こうした話を、それこそあの軍人勅諭を発した東條英機の孫娘あたりが取り上げて語ったら大きな意義があるかもしれない。この時の日本人捕虜達の感覚と、米軍の諜報機関が積極的に日本人捕虜から情報を聞き出した「トレイシー」に書かれた状況とを比較すると興味深いものがあるのではないだろうか。

トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所

トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所