ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

アメリカさん

 つらつら思うに、私達が今まさにやっている消費活動というのはすべてアメリカさんがお持ち込みになった、そして依然としてお持ち込みになられているそうした習慣風俗の上に成り立っているんじゃないかという気がする。文化的にこの国はアメリカさんの文化の大変に大きな影響を受けながらここまでやってきたということなんだろうと思う。
 われらの世代は物心ついた時にそうしたものをテレビで見せられるようになったわけで、もう文句なしに憧れたものだ。朝ご飯なんて昔は昨日の残りのご飯をおひつからよそって、味噌汁と佃煮と、漬け物だったんだけれど、トーストにジャムなんてことに憧れたのだというと若い人たちはびっくりするんだろうか。そうはいっても君たちだってスタバで朝珈琲を買う方を選択するだろう。そんなノリだったわけだ。オフクロが手編みしてくれたセーターよりも、機械編みしてくれたセーターを選び、それよりもVANのタグがついたクルーネックセーターを選んだものだ。今考えるとなんぼか手編みのセーターの方がレベルは上だのに。
 その延長線上で、旅館に泊まるよりホテルの方が何となく嬉しかった。無造作に大きなバスタオルを使ってバスタムに放り込むのが格好良いと思っていた節がある。温泉旅館の薄っぺらいタオルの方がすぐに乾くし、あれ一本あったら風呂から上がっても拭き取るには充分だ。それをわざわざ分厚いふかふかのハンドタオルとバスタオルを使うのは考えて見ると実にもったいない。
 アル・ゴアの自分の家の消費電力を考えない不都合はあとでばれて大笑いになったけれど、アメリカ社会はおしなべてエネルギーからなにから無駄に消費することを振り返って反省するようにはこちらからは見えていない。実は入り込んでみると、決してそんなに余計なことばかりしているわけではなくて、食生活にしたって、いたって質素な家庭が多い。それでも外から見ていると何ら頓着している風も見えずに昔ながらの生活を送っているように見えるのはなんでだろうか。
 そして、それを見て、それで良いんだと思っている風潮がこちらの国にも見られるのはどうしたことだろうか、と思えて仕方がないのだけれど、それは偶々、そういう状況をごくごくたまにしている人たちが入れ替わりで眼に見えているということだろうか。
 ジャンク・フードの蔓延は世の中が不景気になればなるほどはびこるのだろうから、それはこれからも廃ることはないだろう。あれは一種の貧困ビジネスだといっても良いかも知れないなぁ。