ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

こんなこと

 あんまり、こんなことをこんなところに書くものじゃないと分かっているけれど、どうせこのブログは私の堪忍袋みたいなものなので、いや、この表現はあたっていないかな、例えば「大様の耳はロバの耳!」と大きな声で叫び入れる袋みたいなものなので、書いてしまおう。そうすれば自分の胸にこびりついているものも取れるかも知れないから。
 実は1970年代の日本の音楽シーンが好きになれない。それ以前のコマーシャリズムしかなかった歌謡曲やらGS、エレキの音楽シーンは自分の青春そのものだったから良いのだけれど、1971年に就職して以降は、日本の音楽シーンから遠く離れた環境で、今の自分を形作る礎みたいなものをため込んでいたのだった。
 だから、いわゆるニュー・ミュージック系のもの、例えばYMOやらムーン・ライダーズやら、大瀧詠一山下達郎なんかからは大きくかけ離れた生活を送っていた。彼らの過去を見ると随分波瀾万丈だったりするけれど、それは今から見たらの話であって、当時はみんな波瀾万丈の結果、ミュージッシャンとなったり、クリエイティブな世界を渡り歩くことができる様になったのではなかったか。彼ら以外にその周辺にいた、そんな指向を持っていた人間はたくさんいたのだろうけれど、みんなどんどん挫折していった。だから、同じような状況を歩きながら、今なんちゅうことのない爺、婆になっちまっているのがあっちにもこっちにもいる。
 それは今頃欧州に行ってみると、あの当時に熱に浮かされるようにしてシベリア鉄道に乗って欧州に渡り、訳分からない中、爪に火をともして暮らして現地に家庭を築いてそのまま人生を送ってきた人たちがあちこちに爺・婆となって暮らしているのを見るかの如くであるのだ。ん?ひょっとしたらあたっていないかも知れないけれど、これは私の印象だということにして許して貰おう。
 で、その当時のミュージッシャンなんだけれど、何が好きになれない要因なのかというと自分が理解できない、いや、これは適切さを欠いておるな、好きになれない音造りが自分以外の人には受けてメジャーとなり(中にはメジャーではないけれどいわゆる好事家好みって奴か)、なんだか君らとは違うんだよ雰囲気を醸し出しているのが好きになれないのだ。
 こうして書いてみると、なんということもなく、ただ自分がそのサークルの中にいなかったから好きじゃない、というだけのような気がしてきた。
 それにしてもYMO矢野顕子も心地よくはないのだ。