ほぼ足りてまだ欲 その先

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新宿

 お盆休み前の前回を失念してサボる羽目になった保阪正康の話を聞く会。10数分前に到着すれども一番前に座ること叶わず。次回は必ずもっと早く来て、一人で二人分の席を占有しているおっさんを出し抜いてやらねばならぬ。年格好からして如何にも上から目線で世の中を見てきたタイプだ(と決めつける)。なんでそんなタイプが保阪を聴きに来ているのだろうか。なんてこと、きっと私を見てそう思っている人がいるだろう。
 保阪は前から特攻について書いている。そして「檄文昭和史」でも特攻について書いている。

「特攻」と日本人 (講談社現代新書)

「特攻」と日本人 (講談社現代新書)

 彼の特攻に対するスタンスは城山三郎のそれに軸があっている。特攻といえば「きけわだつみのこえ」だけれど、多くの場合この文集が取り上げられるときというのは情念の爆発的なものとしてではないのだろうかと保阪は指摘する。75人が取り上げられているけれど、その背景には305通が全国から寄せられていたのだそうだ。それを当時、ガリ版に起こしたものが存在するそうで三冊からなっているものを保阪も入手しているそうだ。
 特攻に選抜された兵士の中には学徒動員で徴兵されたものが少なくないという。航空機搭乗員の訓練はそう簡単ではないからミッドウェイで3000ともいわれる搭乗員を失ったといわれる中、元々優秀だった学徒だから速成が効いたという点もあるという。彼らの書き残したものにはパターンがあって、殆どは「誇りに思う」「参画できて幸せだ」的な文がありながら、その実は自らの所感をこめている。保阪はその中から安曇野出身の慶應義塾経済学部から動員され1945年5月11日に沖縄で突入した上原良司の文を取り上げた。彼は「権力主義の国家は一時的に隆盛であらうとも必ずや最後には破れることは明白な事実です。」「世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。」「明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。」と書いている。
 これを「情念の涙」で終わらせてしまって良いのか、そんなわけはないだろうというのが保阪の主張である。
 毎年、8月が来るとどこかで必ず知覧が出てくる。そしてそこで語られるのは若くしてお国の為に散っていった特攻隊員に涙する日本人、という場面である。
 彼らの死を通り一遍の「お国の為に殉じた若者」として、捉えてしまうのでは、彼らの死に私たちは報いていないということだ。むしろ彼らの死を犬死にとしているのは後の世の私たちだ、ということになる。
 保阪正康はここで最近語ってきたことを出版したのだそうだ。