ほぼ足りてまだ欲 その先

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『忘れられた皇軍』

 日曜日の深夜、月曜日の未明ということになるけれど、日本テレビ系列では「NNNドキュメント」という番組がある。時によって30分、時によって55分枠で放送され、系列の地方局の制作であったりするドキュメント枠である。今時のバラエティのバカ騒ぎが真っ盛りの日本のテレビ局としては非常に珍しいドキュメントだろう。
 昨日の早朝の放送が「反骨のドキュメンタリスト大島渚 『忘れられた皇軍』という衝撃」というものだった。大島渚が制作した1963年放送のドキュメントがこの「忘れられた皇軍」という30分ものだったそうで、これが日本テレビにフィルムで残されているのを見つけたというものだった。
 番組中で説明されたのは「発見された」ということだけれど、そうだとすると日本テレビには貴重なドキュメント番組のフィルムがかなりの数保存されていそうである。書籍もそうだけれどテレビ番組は特にさかのぼって検索し、再現することはもうほとんど不可能な状態にある。NHKがオンデマンドをやっていたり、放送博物館で多少は実現されているけれど、多分民放が作った番組はほとんど公開されることなくそのままになっているのだろうことが想像される。
 「忘れられた皇軍」は戦中日本軍軍属として様々な戦場で日本のために働き戦うことを強いられた朝鮮半島出身、台湾出身の人々のことを意味することになるが、この番組で大島渚が取り上げていたのは戦傷して手や足を、もしくはその両方に加えて両目を失った6-7人の在日韓国人の男性たちの日本政府、韓国政府に対する陳情の姿、電車の中での物乞いの姿、日常生活の姿を、できる限りのアップで捉えている。大島渚の心の怒りがそのままぶつけられている映像である。
 皇軍として駆使されながら、終戦後は彼らは日本人でないとして補償の対象から外され、韓国政府からは日本によって傷つけられたのであるから日本から補償して貰えといわれ、揚げ句に日韓条約でもう済んだことにされてしまった人々は多い。
 中には捕虜収容所のまさに現場仕事に就かされ、揚げ句の果てに日本軍下士官からは捕虜に甘くするなといわれて戦後戦犯とされた人すらいる。
 大島渚がこのような題材を取り上げていたとは知らなかった。傷痍軍人たちは典型的に白い着物を着ていた。そして陸軍帽をかぶっていた。ハモニカアコーディオンでうら寂しい軍歌を弾いていた。そして駅や神社の人が集まるところにいた。その人たちが実際に戦闘で傷ついた人だったのかその真偽のほどはわからなかった。ひょっとするとその振りをしている人がたくさんいたからだろう。私たち子どもは恐ろしいものを見るかのように親に手を引かれながら見上げていた。小学校に入ったか入らなかったかの頃に小遣いを貰って近所の神社の夏祭りの夜店に出かけたときに、鳥居のそばに立っていたそんな傷痍軍人の箱に小遣いのあらかたを入れてしまったことがあった。それはまだ1950年代だった。1963年といったら東京オリンピックのまさに前年で、世の中はオリンピックのことで持ちきりで、公共工事がワンワンと続いていて、私たちはこんな事をもうとっくに忘れていた頃だ。
 まさに大島渚がいうように、「日本人よ、これでいいのだろうか?」だったはずだ。この番組の中身ももちろんだけれど、今この国はまさに「日本人よ、これで良いのだろうか?」だものなぁ。
 この番組の再放送はBSとCSだけなのが非常に惜しまれる。