ほぼ足りてまだ欲 その先

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テレビ

f:id:nsw2072:20191216171517j:plain:w360:left テレビでつまらなさそうな、良くある旅番組なんだろうなと、ハライチの澤部とロッチの中岡、そして尾藤イサオ中尾ミエというフジテレビの番組をなんつうことなくつけていたのさ。鬼怒川の旅館で湯葉料理やら、イワナクルミ味噌焼きやらを食べるわけ。
 そういえばまだ娘が背中に負ぶさっていた頃、年末料金になる直前に鬼怒川の温泉旅館に泊まったことがあった。あれから行っていないんだから、鬼怒川へいったのももう35年以上前だってことだ。
 成り行きで見ていた番組で、なるほどタイトルは「なりゆき街道旅」という番組で、予算がかかっていないことこの上なさそうだ。ま、ある意味旅のショッピング番組みたいなものか。

 ところがこの番組での尾藤イサオ中尾ミエの話しに思わず耳をそばだてた。尾藤イサオは12歳で大神楽に弟子入りしたんだそうだ。日本式の曲芸である。ジャグリングなんて昔から芸になっていたわけだ。この話をFaceBookに書いたら地元の知り合いが、彼の師匠だった人のお孫さんが、その知人と同じ地元の中学出身で、尾藤イサオもその中学の出身だというのです。尾藤イサオがいうには、12歳から弟子入りしたというんだから、中学生でもう弟子だったというわけだ。尾藤は1943ねん生まれということになっているので、もう76歳になるわけだけれど、彼は驚くほど若く見える!18歳の時にElvis Presly病に罹患してしまう。そうなるとリーゼントにして、唄いたい。弟子をやめたい、といったら師匠はそれも良いだろうといったらしいが、太神楽もやめるというと、じゃ、何をしていくんだと聞かれたと。それでプレスリー、といったら師匠は「それじゃ、本物の不良になっちゃうじゃないか」といったというのだ。つまり、太神楽の芸人になるのもそこそこ不良の分類だけれど、そんな後のロカビリーなんて、全くの不良だという認識だ。この辺が大きな価値観の相違だよね。

 奇しくも、同じ日のテレビで沢口靖子東宝シンデレラに応募する顛末をやっていたけれど、その頃にはもう芸能界へ足を踏み入れること自体が「不良」だとは認識されていない。そういえば東宝の知り合い、もう誰だったか覚えていないが、から彼女の写真を見せられて「この子、どう思う?」と聞かれたことがあったことを思いだした。

 中尾ミエが言うには「あの頃、14-5歳が稼ぐんだったら芸能界くらいしかなかったのよ」というのである。彼女は1946年生まれということになっているので、それが本当なら73歳ということになるが、飯を喰いながら尾藤イサオに「ね?」と相づちを求めるんだけれど、彼は「ウン!」というだけだ。私は尾藤イサオの方が歳下なのかと思った。中尾ミエは家が事業に失敗して小倉から千葉に来たのは1958年。東宝にいったけれど、採用されず、ナベプロ預かりとして、平岡精二のバンドでベース廻りをする。ナベプロと契約できたのが1961年だというのだから、それが15歳だということになる。ベース廻りで唄っていた伊東ゆかりにしろ、黛ジュンにしろ、一、二歳の差である。そんな年齢で彼女たちは唄っていたわけだ。どんな雰囲気だったのか、という話は誰からも聴けたことはなかったけれど、そろそろこの辺の話も聞いておかないと、無理になりそうだ。中尾ミエは給料に手をつけることなく、それを貯めて借金をして家を建てたのが20歳の時だという。今でもそこに住んでいるという。彼女は昔から一緒に暮らすパートナーがいると聞いたことがあるから、そこに暮らしているということか。「借金を返し終えたら、また借金をして家を建てた」というのだから、何軒も家作を持っているんだろうか。樹木希林のように。

 そういえば40年ほど昔働いていた職場に、中尾の親戚だという若手がいたなぁ。