産経新聞の論調は指定弁護士の言葉を借りているだけで産経独自にどう判断しているのかという点については意識的に避けているが、「無罪判決は規正法の限界を浮き彫りにした。これが今後の改革につなげられれば、検審の議決、そして公判は決して無駄ではなかったはずだ」といわせていて、判決が無罪とした以上、法的にも無罪であるという事実と向き合うわけではなくて、罪は犯しているけれど、法的にそれを追求することが法の未整備でできなかったといっている。それを法治国家では「無罪」というのだという点について全く認識ができていない。これは論文としたらやっぱり「C」でしかない。不合格。
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それにしても何本もの記事を書いてこの事件が如何にグレーかを強調しようとしているのだけれど、その前にこの事件が一体何を問題としているのか、という点に立ち戻って語ろうとする必要がある。
この事件のそもそもの容疑というのは4億円で買った土地を期をずらして計上したのは政治資金規正法に触れるというものだ。その過程でそのずらした行為を秘書が進めたことを小沢一郎が認識していたか、それが違法であることを認識していたか、という点にある。その過程で4億円の原資はどこから出てきたのか、預金がありながら借りだしてきたというのはおかしいじゃないかとか、水谷建設から収賄したんじゃないかと次々に検察が繰り出してきてグレーに塗りたくり、そのイメージを作った。
それを自民も公明も語らずに「おかしい」「グレーだ」「無実と無罪は違う」と言い放っているということだ。
預金を担保に金を借りるということは通常行われている金融行為で、これは小沢一郎事務所の専売特許ではない、ということは敢えていうまでもないことで、これを疑問視するのはまるで当てはまらない話であるし、水谷建設から金が出たという話も既に水谷建設があの証言は虚偽だったと認めている以上問題になる話ではない。
となると一体何が問題かというと、計上が期をずれてしまっていた、というこの一点になる。これが問題ではない、ということではない。確かにルールから外れている。では、これが政治家として致命的な問題かということだ。これを議論するべきであって、今のマスコミの論理はそうなっていないということが問題なのだ。