ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

格安マーケット考

 ほんの一年ほど前にうちの近所にできた格安マーケットが、すぐにもダメになっちゃうんだろうなぁと思っていた。先月下旬から今月初めにかけて「改装のため休みます」と札がついていて、中をうかがうとがらぁ〜ンとしていて、あぁ、やっぱりダメだったのかと思っていたら、とんでもない。本当に改装をしていたようで、しまいにはワインバーまでできちゃっている。ま、これはどうなるかちょっとわからないけれど、野菜売り場の方はすっかり定着した感がある。
 昼過ぎに通りかかってソーダ水を買ったのだけれど、来ているお客はお婆さんばかり。普通のスーパーでもそんな時間に忙しい家庭の主婦はそんな時間には買い物にやってこないけれど、来る人来る人お婆さんだというのはちょっと気がつくとかなり不思議な感覚だ。
 これだけ安い野菜はその由来や産地についてはあんまり信頼することはできないだろうという気がしないでもない。何しろ安いんだから。年寄りになったら、年金でかつかつに暮らすんだし、多少の内部被曝をしたって、多少の残留農薬があったって、もうしょうがない。多少たとえに無理はあるけれど、アメリカンフットボールエンドゾーンまであと10ヤードを切ったところでファウルをしたって、半分後退するだけだから、それは五十歩百歩だ、というのと似ている。つまり短くなる寿命は半分になったって、大した長さじゃないってことだ。
 それ位、歳をとって値札を見ないで暮らせる人なんてそうそういるわけじゃない。それでもまだまだ負担しろと政府はいう。医療費負担が少ないと年寄りがいたずらに医者にかかるという発想は実に貧困な発想で、この国の医療費負担制度だと、冗談ではなくて、役割を終えた人間は死んでくれといっているようなものだ。正に楢山節考の世界そのものとなる。
 この国では民主主義思想というものはまったく理解されていないし、理解しようとする価値観が育たない。そもそも教育制度ではそれを理解できるように教育をしようとしていない。それは明治以降も江戸期以来の価値観が変革されないまま来ていることだからしょうがない。
 男女間の格差が世界で104位と報告されたのも当然のことだろう。もう私たちの世代では根本的改革がなされることはあり得ない。そう教育されてきた。「女が4大に行く必要はない」というのが当たり前の社会に育った。公立の高校だったけれど、女子クラスというのがあった。卒業したら就職するのが当たり前だった。男の稼ぎに妻が依存するという姿だった。その配偶者控除はなくしてしまうけれど、女性の活躍大臣は任命するけれど、社会の価値観は何も変わっていないし、学校の教育法もむしろ逆行する方向に変わる力ばかりが顕在化する。
 あの国の面汚し爺の石原慎太郎があれだけ女性をないがしろにする発言を連発したって、いざ選挙となったらまたあのくそ爺に投票する女性が(もちろん爺もだけれど)後を絶たなかったという馬鹿丸出しの国にまさしくふさわしい評価だろう。
 こういうことを書くと「この国がイヤなら出て行け」という奴が必ず出る。なんという破滅的思考かと呆れるばかり。