ほぼ足りてまだ欲 その先

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アウシュビッツ

 昨日の夜10時からのTBSラジオ「セッション21」で荻上チキが、彼が今年行ったアウシュビッツを取り上げていた。アウシュビッツには中谷剛さんという日本人のガイドがおられるそうだけれど、彼は外国人として初の公式ガイドなのだそうだ。予約が取れると彼のガイドによる見学ができるそうだけれど、すぐに予約できるというわけではなさそうだ。彼に関する報告はこちら国際基督教大の学生による)。
 アウシュビッツというのは元々の名前ではなくて、ポーランドの元々の名前はOświęcimという土地だそうだ。ナチスドイツがつけた名前だという説明だった。つまり、アウシュビッツというナチスユダヤ人を中心に絶滅をはかった収容所はポーランドにある。なぜポーランドにそんなものが存在するかといったら、ドイツはポーランドに侵攻して占領し、我が物としていたからだ。
 だから、当然これと同じ施設はドイツの各地にも存在していた。一説にはなんと1933年から1945年にかけて、約2万か所の収容所を開設したといわれている。一般的にはユダヤ人を収容したと思われているのかも知れないけれど、実態は国内の共産主義者社会主義者社会民主主義者、ロマ族(ジプシー)、エホバの証人、同性愛者、ソ連軍の捕虜兵士、身体障害者も収容し、拷問し、強制労働させ、面倒になるものはそのまま虐殺した。
 ナチスがこうした恐怖政治を実行した時代、あくまでもワイマール憲法下にあった、民主国家での出来事だという点を忘れてはならない。独裁専制国家だったわけではないのだ。憲法がある民主国家だったのだ。合法的にアドルフ・ヒットラーは首相に選ばれたのだ。ドイツ国民は彼の政党、つまりナチス党に投票したのだ。
 麻生太郎がいみじくも「あの手口に学んだらどうか」と口外してしまったように、合法的に彼らは政権を握り、気がついたらこんなことになっていた。一体全体、何百万人が彼らの犠牲になったのか、実数はつかめていない。
 実数がつかめていない犠牲者が出ている虐殺事件といえば、私たちの胸に残る事件もある。そして、あれもこれも、「そんなものは嘘で、ねつ造された事件だ」と主張する連中が存在する。

 わたしはポーランドには行っていないけれど、ベルリンから電車で小一時間で到達できるオラニゲンブルグという街にあるザクセンハウゼン強制収容所跡を見学に行ったことがある。荻上チキが説明するアウシュビッツとほぼ同じような施設があったところで、今でも博物館として、現地をそのまま残してあって、無料で中を見学することができる。
 私たちは様々な形で中学高校あたりからこれらの話を何かにつけて聞いたし、映画も見たし、アンネ・フランクの話も聞いてきた。しかし、段々、その色の濃淡も薄くなってきて、このままにしておくと、若い人たちはあの戦争を知らずに大人になってしまうのではないか、という危惧を持つ。
 この国の流れの中にも、明らかに弱者、外国人排除の思想が顕在化してきている。