ほぼ足りてまだ欲 その先

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多田野数人

 昨日の西武ドームでの埼玉西武ライオンズ北海道日本ハムファイターズの試合は13-0という大差な試合でファイターズが勝った。ファイターズの先発は多田野数人で6回を4安打無失点で抑え、2009年8月27日のオリックス戦以来、963日ぶりの白星をあげたと報じられている。
 彼は1980年4月25日生まれで、この25日に32歳になる。松坂世代の一人で、立教大学野球部在籍中は現在は日本テレビのアナウンサーをしている上重聡と同期である。
 上重は PL学園の出身で、甲子園では松坂と投げ合った将来を期待されたピッチャーで、大学3年の秋シーズンには東大を相手に完全試合を達成している。当時彼が在籍していたゼミでその日のことを文字にしたものを読ませてもらったことがある。シーズン最後の試合で、通常はそれまで神宮のマウンドを踏むことのなかった4年生のピッチャーがどんどん代わって登場するはずだったのだけれど、3年生の上重がノーヒットを続けていたので代えるに代えられなくて、ベンチがやきもきしているうちに完全試合が成立してしまったという噂だった。
 ところが同期の多田野は上重の陰に隠れてなかなか表には出てこられない存在だった。ところが4年生になって上重は肩を壊してしまい、どうした、どうしたという声の中、全くマウンドに上がることができなくて、終いには代打に出たりしていた。
 そんな中、多田野が頭角を現して、4年生の秋のシーズンだったと思うけれど、早-立戦での先発が早稲田は和田毅、立教が多田野で始まった。当時私はおっさん学生の一人で、もう一人のおっさん学生と二人で学生席から応援をしていた。学生席の応援は昔と違うパターンがあったりして戸惑うものがあったけれど、野球観戦はあれが一番面白い。試合は双方0点が並ぶ緊迫したもので、早稲田も立教も二人のピッチャーの投球にきりきり舞いで二人ともが2桁の三振を奪ったのではなかったかと記憶している。試合そのものは最小得点差1-0で早稲田が勝った。
 和田毅福岡ダイエーホークスに入って昨年まで活躍。今年からメジャーに行っているのだけれど、今のところまだ登板していない。
 多田野数人横浜ベイスターズに行くんだろうといわれていた。ところが卒業間際になって、彼が怪しいビデオシネマに出演していたことを週刊誌がほじくって大騒ぎになった。思わずみんなが頭を抱えた。多田野がどうしていたのか、全く知らない。しかし、その種のスキャンダルは当時真っ盛りだった2チャンネルの格好の題材になってしまった。
 最初から日本の球界をあきらめ、米国へ渡る。テストを受けてクリーブランドにマイナーで入った。彼の投球フォームはむしろ日本の球界ではぶちこわされた可能性があって、米国に行くことになって結果的には良かったかもしれない。それこそ変な投球だと鈴木啓示から良い扱いを受けなかった野茂英雄が米国に行って大成功したようなものだ。
 ところが米国でもなぜ日本のプロ野球に入らなかったか、ということからスキャンダルの顛末を暴露されてしまい、彼が行くところにはその話がついて回る。
 2004年4月にはクリーブランドのメジャーに昇格した。しかし、やっぱり上がったり下がったり。当時はクリーブランドのHPを見ては今はどこにいるだろうかとマイナーのHPを探したりしていた。おかげで当時、アメリカのプロ野球団のマイナーチームがどれほどネット上でも頑張っているのかということがよくわかった。日本のプロ野球チームがいかに旧態依然としているのか、ということがあからさまであった。客集めのために、いかにこのマイナーチームに親しみを持ってもらうことができるかということに一生懸命なのがわかる。
 シーズンオフに日本に帰ってきた多田野は野球部の後輩とも交流していたらしくて、下級生と話すと、辛い状況の暮らしをしているようだけれど活躍して欲しいといっていたのを思い出す。
 2006年-2007年の2シーズンはオークランドのマイナーにいた。この頃のチームメイトの一人が今オークランドの先発キャッチャーをやっているカーク・鈴木ではなかったかと思う。HP上で日系の名前を発見して驚いた記憶がある。結局メジャーにはとうとうあがれず日本に帰ってきて日本ハムが一位指名した時には驚いた。
 ところがすぐに大けがをしてしまう。もうこの時は、多田野の野球人生は平穏なんて言葉とは全く無縁なんじゃないかと思ったし、ひょっとしたらこのまま終わりかもしれないなぁという思いが頭をかすめた。
 その後もうまくいったり、ポカスカ打たれたりで、安定しない。2010年シーズンが終わった時には戦力外通告を受け、トライアウトにまで出た。どこのチームも拾う気がうかがえなかった。絶望的だった。すると、ファイターズの梨田は、じゃ、めちゃ安で契約できるんだったらよそにとられる前にうちでとっておこうと、再契約された経緯がある。だから、私は昨年シーズン・オフにさすがにもう放り出されているんだろうと思っていた。それがシーズンが始まって久しぶりに彼の名前を検索してみたら、ファイターズの選手のページにまだ載っていることがわかってびっくりしたのだった。
 いずれにしろ、彼がまたプロ野球のマウンドで投げるのをテレビ画面で見ることができる日が来るとは思わなかったから、喜びはひとしおだ。あのごつごつした投球は彼以外には見られない。何十勝もできるとは思わないけれど、細くてももうちょっと投げてくれると私自身の楽しみにもなる。