ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ラジオネーム

 一体いつ頃からこんな事が習慣化し始めたのだろうか。昔はラジオ番組で自分の名前を明かしたくない人は「匿名希望」と書いて出していたものだった。それを見落として読まれてしまって翌日学校に行くと「おまえ昨日読まれただろ?」とクラスメイトにいわれて、一瞬気恥ずかしいような気がしながら、俺はもうこんな小さな学校の小さなクラスに留まっているわけじゃなくて、広く世間に羽ばたいているんだぜと誇らしげな気持ちがしたものだ。それからその気になってしまって、今度は送る葉書を通り一遍なものじゃ読まれないからと、丸い葉書にして送ったり、開くとハートになる封書にして送ったりしたものだ。とっくに早死にした土居まさるに読まれたときはもはやタレントになったみたいな気持ちがしたみたいだったくらいで、実に単純な子どもだった。
 パソコン通信の時代になってみると「ハンドル・ネーム」という聞き慣れない呼称がごく普通に存在している世界だった。niftyで私は当時シドニーにいたから「シド」といっていた。今から考えると恥ずかしい。
 あのあたりから、自分を適当な名前で呼ぶのは普通になったのではないだろうか。
 しかし、私にはその前に適当な名前を名乗っていた覚えがある。あれは多分高校生の頃だと思うのだけれど、当時ラジオでは「電話リクエスト」なるものが大流行で、放送局に電話を掛けるのだけれど、当然多くの人が電話を入れるので、話し中になっている。普通の人は話し中の「ぷー・ぷー」という音を聞いて諦めて受話器を置く。ところがそのまま受話器を耳に当てているとそのままの状態で掛けているもの同士で会話ができてしまったのだった。なんだか人の気配がするのに気がついて「もしもし」といってみると、向こうから戸惑ったような声が「もしもし」と反応する。それも一人、二人じゃないのだ。数人がいっぺんに会話ができてしまう。
 すぐに状況を飲み込んだ誰かが「あんた誰?」と聞いた。瞬間的に私はなんと「リンゴの弟です!」と答えた。なんちゅう奴だ。それ以来、電話リクエストに電話して話し中に「リンゴの弟です!」といったことが何回かある。
 あれ以来、私はアノニマスとなった・・・ちゃってね。