昨日一日家に籠もっていたけれど、なにも良いことはなく、結局朝4時半頃に一度寝てみたんだけれど、結局7時頃にはもう目が覚めてしまった。たぶん昨日歩きもしなかったからだろう。それで朝飯を食ったら、ようやく眠気がやってきて、8時半には寝てしまい、気がついたら11時だった。その時テレビを付けていたらLAD対LAAの野球をやっていてそれに見入ってしまったんだろうが、見なかったので、重い腰を上げて出かけた。
図書館でCDを返して、隣の区の図書館にもCDを返しに行こうとバス停にいった。来月からダイヤを改正すると書いてあって、悪い予感がしたのが的中し、それまで少なくとも一時間に一本来ていたバスが平日の15時台には一本も来なくなることを発見した。理由を聞いたらたぶん「運転手が足りない」というだろう。いまではこの理由は全国津々浦々通用する。この国はこの先どんどん不便になるのは確定だ。それを前提に国や自治体は考えなくてはならない。都庁舎にプロジェクション・マッピングやったり、神宮外苑を潰したり、日比谷公園をイベント広場化している場合ではないのだ。
不忍池の広小路から上野山下にかけてはソメイヨシノもろくに咲いちゃいないのに、桜まつりとか称して露店だらけになっている。おばあさんが袴を履いて踊って見せているのが虚しい。蓮の季節になると人がやってくるポンツーンには見るに耐えないキンキラキンの装飾がしてある。こうしたところに出店を出している人たちから都は一体いくら徴収しているんだろう。都民の憩いの場所である公園は、公園としておいてほしい。都はそのためのメンテナンスをしていれば良い。そんなところで稼いでどうするのか。
バス停にやってくると、ベンチで一人爺さんが座って大きな声で電話をしている。知らん顔してバス停に立っていると、私がいつも斜めがけにしてるカメラを見て、「写真ですか?」と声をかけてくる。「えぇ、まぁ」とかいなす。敵もさるもので、それでも私が撮っていた向かい側の桜を見て、大きな声で「あぁ、桜が咲くんだ!」なんていっている。うるさいっての。「なかなか来ませんねぇ」というからふたつのうちのどっちのバスに乗るのかと聞くと、私と同じバスだ。
やってきたバスにはインドあるいはパキスタン方面と思しき家族連れが乗っていて奥へ行きにくい。この一時間に一本しかやってこないバスには最近必ずこうした外国人観光客が乗っている。
ソメイヨシノはまだだけれど、しだれ桜も、大島桜も、陽光も、次々に咲いてくる。それでも天気予報は来週はまた普通の気温に戻るだろうという。
両方とも地元の図書館で借りた。隣の区の図書館だとどちらも予約が19人、17人の行列になっている。どういう意味だろうか。