ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

突然思いだした。

 今から4年ちょっと前。ひとりの元全日本バスケットボール・プレイヤーが死んだ。2001年10月末のことである。1973年に大阪商業大学を卒業して日本リーグの名門チームに加わる。その年日本リーグで新人王。1976年カナダのモントリオールで開かれたオリンピックにナショナルチームの一員として参加。強豪との戦いに結局日本チームは圧倒的に敗れた。私の年代のバスケットボール・ファンにとってはきら星の如く輝く選手たちであった。キャプテンは日本鉱業(現:ジャパン・エナジー)の阿部成章、松下の沼田、まだ明治大学の学生だった北原憲彦、彼は日本鉱業のライバルといわれた日本鋼管(現:JFE)のプレイヤーで、このオリンピック・チームには同じチームから、桑田、山本、清水が参加し、監督は職場チームの先輩の吉田正彦だった。
 のちに彼は日本鋼管チームの監督となる。毎年オフにはアメリカに出かけ、NBAには上がることができないけれども、これだったらと思う選手を捜す。こうして日本に呼んできた選手の一人が今でもアイシンでプレイをしていて、日本国籍を取得したエリック・マッカーサーである。学生の頃から日本のバスケットボール界のだじゃれ男というだけではなく、一世を風靡した、バスケットボールファンなら誰もが知っている北原憲彦にいわせると「日本のパット・ライリー」である。日本リーグの試合が終わると、毎回当時それほど普及していなかったIBMのノート・パソコンでデーターをインプットしていた。今34才でNBAバスケットに挑戦するという慶応大学出身の阿部理を連れてきたのも、この男だった。彼の名は「藤本裕」。享年50歳。