高校教科書の「強制自決」に関しての論議があっちでもこっちでも語られているから別に私は加えることもないのだけれど、10月3日付の産経新聞を見ていてちょっと気になった記事。「「教科書検定を有名無実化」沖縄自決記載で有識者批判 2007.10.3 00:30」という記事なのだけれど、そこに出てくる“有識者”の皆さんの顔ぶれが、いかにも産経新聞社お好みの方々で、日頃から朝日新聞に対して偏向した新聞といっている割には、その分自社も充分偏向していて、こうなると偏向とは自分の意見と違っているもの全てを指すということなのかと理解しなくてはならなくなりそうだ。中村粲独協大名誉教授、藤岡信勝拓殖大教授、秦郁彦元千葉大教授、ジャーナリスト櫻井よしこというのがその顔ぶれ。
昨日のテレビで知ったのだけれども、朝日新聞の9月25日付社説に端を発して産経新聞の「産経抄」が喧嘩を売り、朝日新聞は「窓・編集委員室から」で応酬するやりとりがあった。新聞の記事はネット上ではすぐになくなっちゃうので、両方を捜すのにちょと苦労をしたけれど、朝日新聞は産経新聞に比べると見付けにくい。有料の検索サイトからなら見つかるのかも知れないけれど、それは個人ではなかなか無理だ。
<顛末はこんな具合>
- 朝日が0925の社説で安倍政権を総括した。「終わり方はひどいものだった。だが、だからこの政権は全くだめだったと決めつけるのはフェアでなかろう。この1年、私たちは安倍政権に批判的な主張をすることが多かったが、評価すべき点がなかったとは思わない」として近隣外交の関係修復をあげている。
- 産経は0926の「産経抄」で「あれほど安倍たたきに熱心だった朝日新聞もさすがに良心がとがめたのか「評価すべき点がなかったとは思わない」と言い出した。御為(おため)ごかしそのものだが、中曽根康弘元首相が「政治家は歴史法廷の被告である」と喝破するように政権の客観的な評価は、後世の史家に委ねるしかない」と言葉を売った。この観点は前からいろいろな論議を呼んでいる。ここで60年安保の岸信介、戦後のワンマン宰相吉田茂を取り上げて、二人とも当時はいろいろいわれたけれど、後年高く評価されたとする。吉田茂はともかく、岸信介は一体いつどんな理由で高く評価されたのだろうか。戦前の諸行は全部忘却の彼方に放り投げたとしても、そんなことないんじゃないかというのが印象だ。
- これに対して朝日はしばらく時間をおいた9月28日夕刊の「窓・編集委員室から」に「安倍氏をたたきすぎたと反省して、今になって唐突に評価をはじめた―。そう言いたいとしたらお門違いというものだ」と訪中、訪韓の時にはエールを送っていたし、村山首相談話や河野官房長官談話の継承を表明した時にも「大いに歓迎」と評価していたんだぞ、といい、「あなた方の身びいきこそ、重荷だったのではないか」と恵村順一郎が署名入りで応酬した(ちなみにこのコラムはいつも署名入り)。
- しばらく産経は応酬しなかったのだけれど、突然10月3日の「産経抄」で戦線を拡大しはじめる。沖縄集団自決に関する記事で、抗議集会に集まった住民の数について朝日がなんの疑問もなく主催者側発表の11万人をそのままこれ見よがしに書くのは如何か」「2万5000平方メートルの会場にそんなにはいるわけがないだろう」「参加者は最大で4万3000人だそうです。沖縄の警察は、主催者の反発を恐れてか真実を発表できない」としている。「戦時中に大本営発表を垂れ流し続けた貴紙の過去とだぶって」見えるぞと攻める。このあと朝日はどうするのか、あるいはもう既にどこかで何か書いているだろうか。ちなみに「産経抄」は前日10月2日の記事で「何か誤解があるのではないか。それとも意識的なすりかえか。先月29日に、沖縄県宜野湾(ぎのわん)市で開かれた集会のことだ。沖縄戦で起きた住民の集団自決をめぐり、日本軍が強制したとの記述を削除するよう求めた検定意見の撤回を求め、11万人(主催者発表)が参加した」と11万人を使っていて、4.3万人と記載していないのはどういうわけなのだろうか。
このエントリーを書いたらめったやたらとおとなり日記がついて、見たら結構な人たちがこの一件を書いていて、周知の事実なんだと知れた。こういう話は検索してどれほどの人が書いているのか確かめてから書いた方が良いかもしれないな。
ここまで書いたらなんと朝日「窓・論説委員室から」がすでに1004付でこの産経が書いた11万人を取り上げていた。なんだ人の後追いだ、と思ったけれど、折角書いたからこれはこれで、そのままにする。時間かかったんだもの。