今日はこの人の訃報があっちでもこっちでも話題。3000曲も作詞したのだというからすごい。85歳。美空ひばりの曲も3桁数。さぞかしすごい印税が入ったのではないかというのは私のような品格のない輩の考えることか。
彼の作品の中に「悲しい酒」という♪ひぃとぉりぃ、さぁかぁばでぇ・・・と歌い出す美空ひばりの唄がある。私が新入社員で配属になった部署に後から転勤で来られた室長がこの唄が大好きで、カラオケのなかったあの頃、室長は酔うと必ず最後に行く店があって、常駐しているギターの先生や、はたまたピアノの先生の伴奏で、やおら背広の胸ポケットに忍ばせている手帖を取り出し、驚くほど細かい字で書かれた「悲しい酒」の歌詞を見ながら、絞り出すように唄っておられた。カラオケなんかじゃないから、いくらどんなに彼が彼のペースで歌ったって伴奏者がついてきてくれるから満足できる。
そういえばカラオケが普及しだした頃、彼らの年代の人はカラオケのテンポについてこられない人が普通にいた。そりゃ無理もない。それまでは伴奏なんてなくて、周りの人間の手拍子もしくはあったとしても歌う人間が主人公だったのだ。あくまでも歌う人間が王様だった。今は器用にあわせられる奴が「うまい!」ってことになっている。
テレビに映る石本美由紀を見ていて、かつてヒューストンの日本人駐在員を客としているピアノバーでピアノを弾いていた男性を思い出した。私は出張でそんな街に行くと現地の駐在員と良くそんな店に行っては生意気にも唄ったものだった。何かを一曲いわれるままに歌い、その後お店の女性が「カスバの女を唄わないか」と云った。私はそんなど演歌なんか歌いたくなんかないと思っていたから、「そんなの知りませんよぉ〜」と大きな声で云った。もちろん知っていた。すると他の知らない客がピアノの伴奏で歌い出した。外地にいるとこんな唄でもうたいたくなるもんなんだなぁと思っているうちに、その女性が私のところに来て「この曲はあのピアノの先生がお作りになったんです」というのだ。
まずいことを云ってしまったものだとぎくっとしたけれど、もう遅い。知らん顔をして呑むしかないという雰囲気だった。それからどうしたのかもう覚えていないけれど、その場の雰囲気は今でも覚えている。そのピアノを弾いておられた男性は果たして作曲者の韓国からやってきた人でペンネームを久我山明という人だったのか、あるいは作詞者の大高ひさおだったのか、調べてもわからない。ひょっとしたら全然違う人だったという可能性だってないことはない。
この話で一本話が書けないことはないな。
白状しておくと高木薫=中島梓が女性だと今日の今日まで知らなかった。なにしろ小説を全く読まないから。