今朝のテレビ朝日に社民党福島瑞穂党首が出演していた。彼女に対するスタンスの取り方だとか、わぁわぁとうるさく喋る様だとか、三反園君はなんだかますますうざったい存在になりつつある。フリーになってから増長しているんじゃないか、奴は。
そういえば彼女は党首で、民主党の鳩山由紀夫は代表で、共産党の志位は書記長。崩壊自民党の谷垣君はなんと偉そうに総裁という立場だけれど、なんだか羊頭狗肉で大げさすぎて格好悪い気がする。総裁で想い出すのは大川興業か。
民主党がいっていたスタンスを全く正反対に動いていってしまった普天間移転だけれど、福島の表現を借りれば「外務省、防衛省官僚に鳩山由紀夫は振り回されてしまった」のだとすると、これは自公政権だって、そのまま霞ヶ関(防衛省はちょっと外れているけれど)の上に乗っかってここまで来てしまったわけで、そうだとすると、やっぱりなんだかんだいってもこの国を動かしているのは政治じゃなくて、霞ヶ関の官僚なんだということになる。
つまり、石波がどんなに三白眼を見据えてあれこれいおうが、小池百合子があっち方面の人たちを率いて2.26を気取ろうが、その実は、アメリカの代表部と化している霞ヶ関の意のままに動いてきたということだ。つまり日本国民はあたかも本当のように見える間接民主主義国家というシステムの中に暮らしているかの如く思わされているけれど、それは全霞ヶ関による洗脳によって思わされているに過ぎなかったことが分かる。
経団連が自公政権に出していた要望書がアメリカによる要望書の線に沿っていたことは自明だし、そのアメリカによる要望書に沿って霞ヶ関が動いてきたことも明らかだ。ということは昭和20年9月2日に降伏文書に署名をしてからというもの、私たちが暮らしているのは結局未だにOccupied Japanという制限付き国家だったということだ。
その証拠にこんなにたくさんアメリカが治外法権で、やりたい放題な地域があるわけだし、アメリカ人が自国民に暴力を振るってもなんちゅう制裁も下すこともできない状態をおかしいと思わない関係におかれているわけだ。
小泉純一郎が「ぶこわす」べき対象は自民党ではなくて、霞ヶ関官僚だったはずなのに、彼はただ日本国民の財産をいわれたようにアメリカを中心とした外資に分配しようとするシステムに傾注してきた。竹中君に至っては自分自身が気がついていないのか、気がついていても洗脳されているらしくて自国民の上前をはねるすり替え理論の普及に努めているに過ぎない。
だから、枝野がやっていることは霞ヶ関を外堀から埋めていく手段のひとつで、これと相呼応して他でも霞ヶ関崩壊へのプロセスをたどらなくてはならない。
にもかかわらず平野君がなんだか真っ先に霞ヶ関に取り込まれちゃったように見えるのが民主党国民新党連立政権ではないのだろうか。その点では国民新党の亀井君のやり方は面白そうに見えるけれど、やっぱり霞ヶ関をぶち壊す勢力にはなりそうもない。
こうしてみると私たちはとんでもないシステムの中に暮らしてきてしまっていて、これからもそうして暮らしていくことになるのかもしれない。
これまでのアメリカ隷属国家維持装置としての霞ヶ関を壊す手だてはあるのだろうか。
そういう意味では、福島君の連立離脱は筋が通っていて私は評価するのだけれど、残っていて、「離脱するぞ、離脱するぞ」と脅かしながら霞ヶ関を揺さぶり続けるやり方もなかったわけじゃないか・・・結果論だけれど。
こうして考えると、今ここで攻めるべきは鳩山由紀夫なんかじゃない。「抑止力」という招待のない言葉で彼を揺さぶり、「ここのところやけに老け込んじゃった」クリントンを連れてきて、テニアンの知事を遠ざけてきた霞ヶ関なのだ。鳩山由紀夫はただ単なる口パク人形になっちまって魂を抜き取られちゃった存在なのだ。
敵はそっちじゃない、こっちだよ。