ほぼ足りてまだ欲 その先

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定年

 神戸女学院大学内田樹教授の最終講義が話題だった。私は中身を聞いていないからどんな話だったか知らないし、内田樹の書いたものを殆ど見たことがないからどんなことを書いていて、授業で語っていて、なぜこんなに話題になる先生なのか知らないけれど、私よりも若い人だということはかすかに頭の隅に残っていた。
 その人が定年だと聞いたので、あれ?私の記憶とは違っていたのかと思ったらやっぱり彼は1950年生まれなんだそうだ。ということは神戸女学院大学の定年はわずかに60歳だということになる。大学の先生の定年としては早いのではないかという気がする。尤も多くの企業ではあとが使えているから60歳定年というのは普通だけれど。私の母校は先生の定年は65歳で、それでも早いような気がする。そもそも大学の先生というのはいつも若い人たちを相手にしているせいか、実年齢よりもお若く見える人たちが殆どだ。
 私の恩師も2010年に65歳になられ、今年の3月末で定年退職される。私よりもわずかに2歳年上なのは私の2回目の学生の時の恩師だからである。私は若いときの学生時代には大学の先生との接点なんていうものは殆どなかった。なにしろ勉強しなかったのだから、先生と接したいなんて思ってもいなかった。学士編入で戻ってきたときに、この先生のシラバスを読んで、この先生のゼミは面白そうだなと思って入った。入ってみると「面白そう」なんてものではなくて実に「血湧き肉躍る」先生だった。なにしろ政治学科を卒業して、社会学研究科で修論を書き、フランスに行かれたり、水俣に行かれたりしたという。
 毎回ゼミのあとでの焼き肉吞みでの先生の話にはとても刺激を受けた。考えることに突き動かされた。その中にお持ちのものは底が知れない。先生と知り合いになればなるほど、こりゃ凄いと舌を巻いたものだ。学生につきっきりで指導するということは決してしない。その代わりお逢いする度に刺激を受ける。そして自分の学びにまたひとつなにかが加わるような気がする。だから学生達がいいだした「放牧ゼミ」を先生が知ったら怒られるかと思ったら、喜んでご自分でも「うちは放牧ゼミだから」と言い放っておられた。
 年度末には必ず卒業生を連れて一日を過ごす。それはとてもユニークで、朝一番で上野動物園で虎の檻の前に行く。するとトラは朝飯の大きな骨を抱えて囓っている。それを見て「うぉ〜」と吠える。吠える教授である。そこからアメ横に降りていって、昼からガード下で呑み始める。ひとしきり呑んだところで、今度は名物のとんかつ屋でとんかつを賞味する。実に健啖家である。あれだけのエネルギーはやっぱり食べないと出ないんだなぁ、と納得する。次の年は巣鴨のお寺で集合してお地蔵さんを磨き、都電に乗って三ノ輪に出て、一葉記念館を見て、蛇骨湯で一番湯に浸かり、どぜう屋で飯を喰う。今の学生はモンモンを背負ったお客と一緒に湯に浸かって眼をぱちくりさせていた。最後はまた三ノ輪まで戻って投げ込み寺に詣でて解散した。
 毎年学生をバングラディシュに連れて行っていた。学生が集まって学校を建てたり、牛を買ってそれを現地の人たちに委託してきたり。最後の授業に集まることができなかったのが心残りであったけれど、いわゆる「最終講義」をやる気はないと伝え聞いたのが先生らしいと納得だ。来月にはお逢いできるようなチャンスがあり得るのだけれど、その時に来られるのかどうか、確としていないところがあの先生らしい。多分あの先生のことだから退職してからどうするこうするということを明らかにしないんだろうなと思うから、お訊ねしないようにしようかと思う。