ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

お初徳兵衛

 またまた落語の噺でございます。この季節、夏真っ盛り・・今年はまだそうでもありませんが・・になりますというと、演題に上がりますのは「舟徳」だったりいたしますねぇ。「四万六千日、お暑い盛りでございます・・」と来ると、やっぱり古今亭志ん朝の「おーい、徳チャァン、一人で大丈夫かぁ〜い」という張り上げた声が聞こえて参ります。結局、勘当されて舟宿の二階に居候になっている若旦那が船頭になり、失敗するわけですが、この噺はその先がございます。
 すっかり舟を操るのも習熟して、それでなくとも、元はといえば大店の若旦那だったわけですから、物腰もよろしいし、色男ですから、すっかり売れっ子の船頭になります。大桟橋まで行ってくれ、というお客さんのご注文で漕ぎ出しますが、途中から、そうだ、堀へ上がろうと言い出します。どうやらこの大桟橋というのは、今でいう駒形橋の西側、駒形堂があるあそこに乗降桟橋があったようです。そこで上がって観音様をお参りして、それから裏へ周って吉原へ行ったそうですが、それにしても結構な距離がござますなぁ。概ね2kmほどでございましょうか。とはいえ、山谷堀で舟から上がって土手をずっと歩いたって、1.2kmはございます。浅草寺の裏手が下地を作る飲み屋、あるいは私娼街であったわけは分かろうというものでございますな。あ、そんなことは良いのですが、この堀に上げた二人のお客にはお連れさんがあって、それが柳橋の売れっ子芸者のお初。しかし、よその芸者をそのまま吉原へ連れて行くわけにはいかないと、一人船頭に一人芸者はご法度を破って、堀から徳兵衛にお初を送らせる。下り舟は突然の夕立に、屋根船とはいえ、暑い盛り、御簾ばりにしている舟だから、首尾の松の下にもやってこれをやり過ごそうとする。降り頻る雨の中、お初が徳兵衛の元を知っている。「若旦那に憧れて柳橋の芸者になった」と言い始める。「辺りが真っ白になるほどに、カラカラカラ、どしぃ〜〜〜ん」と近くに落雷があると、思わずお初は徳兵衛に・・・「お初徳兵衛・浮名桟橋」の序でございます。
 てんですが、ここから先があるそうです。最後はこの二人が心中しちゃうらしいんですが、命を取り止め、舟宿の主人の取りなしで最後は夫婦になるというのですが、そこまで聞いたことがございません。この噺は近松曽根崎心中が元になっているそうでございますねぇ、そういえばあっちも「はつと徳兵衛」でございますね。
 五街道雲助の「お初徳兵衛」はYouTubeにも上がっております。志ん生以来雲助しか、聞いたことはございませんが、扇辰もやっているそうで、これもまたこれで聞いてみたい気になります。

 そうそう、五街道雲助の噺で「やんまの久次」を聞きました。落語の中にはかなり珍しい筋立てで、今時は自分しかやらないと五街道雲助が言っているそうだ。先代の林家正蔵がCDにしている。