ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

そういう問題じゃないんだなぁ 小沢一郎

 通りかかって小耳に挟んだから、という類の人から見ると、潔白でなんの問題もないっていうんだったら国会の政治倫理審議会に小沢一郎はなんで出てこないんだ、といわれるのは無理もない。そこに出てこられないのは、それだけ汚い金を動かしているからに決まってンだ!というのは間違い。
 彼を検察庁は起訴できなかった。なぜか。容疑項目に上げていたものがことごとく間違っていたからで、その容疑は検察庁が勝手に創り上げて、マスコミにリークをして書かせたものだったからだ。火のないところに煙は立たないというけれど(これって一体誰がいったんだろうね?)、そんなのは簡単に煙は立つわけで、この一軒が正に好例なんである。
 その上、例の“市民グループ”の検察審査会への訴えは一度却下された。そして二度目が却下されたら強制起訴になるという状況で、小沢一郎は検査審査会によって強制起訴されることになったわけだ。
 何もなくたって、ここまで持ってくることはできるのだ、というサンプルのような事件なんである。つまり彼はこれから法廷闘争に直面させられることになっている。それなのに、国会の政治倫理審議会で、それこそ待っていましたとばかりに質問をし、彼がそれに対して「裁判になるのだから、不利になる可能性があるから答えない」とでも回答しようものであれば、また「闇の中の政治と金」と書くに決まっている。なんたって、アメリカ−自民党霞ヶ関ー盲目的利益確保保身集団につながるマスコミが勢揃いして官房機密費を媒介として支えるのだから。
 小沢一郎はこんな事態に引きずり込まれてしまっているのだから、一切国会政治倫理審議会なんぞに出てはならないのだ。それこそ思う壺に嵌るということなのだ。
 テレビ、新聞のマスコミはまさにその走狗となって騒ぎまくる。
 なんでこんな簡単なことが国民に知らされないのか。残念ながら人間という動物は一度掴んだ金づる、権力はどうしても離したくないのだ。
 しかし、こんな頼りにならない、無免許政権ではあるけれど、こうしたことを、この私に教えてくれることに至ったという点では、やっぱり政権は代わらなくてはならなかったのだと痛感するのである。

産経新聞電子版に掲載された小沢一郎の回答書

 現在、私の問題は検察審査会の起訴議決により司法手続きの段階に入っており、近々東京地裁での公判が開始されます。そのような裁判を今後行うことが確定している私が、国会の政治倫理審査会に自ら出席しなければならない合理的な理由はありません。
 なぜなら政治倫理審査会の審査や調査は、立法府の自律的な機能であり、司法府への介入を避けるなど慎重なものでなければならないからです。しかも既に指定弁護士が起訴状の作成に入っており、間もなく始まる刑事裁判の中で、私は清々粛々と検察審査会の起訴議決の可否も含めて闘い、事実を明らかにし、潔白を証明して参ります。
 今は、民主党政権が初めて本格的に取り組む予算編成・税制改正の真最中であります。国民の付託にこたえるため「国民の生活が第一」の政策実現のための予算・税制づくりに全力を傾注すべき時であります。
 私は一貫して、挙党一致体制の重要性を誰よりも主張いたして参りました。今後の私は、「国民の生活が第一」の政策とそれを実行していく政治主導の確立、議会制民主主義の定着の大いなる目標に向かって、最大限の努力を傾ける所存でございます。
 最後に、私に対して面談をしたいというご要請でありましたが、私の思いを正確にお伝えするため、書面にてご回答いたしました。なにとぞご理解賜りますようお願い申し上げます。
平成22年12月17日 衆院議員 小沢一郎

刑事弁護人としての会見

 弘中淳一郎弁護士も16時から記者会見をして、弁護人として(政治の場についてのことについてはふれないけれど)刑事事件についていわなくてはならないので、弁護人として意見を発表した方が良いと考えた、として刑事事件に関わることをこれから起訴されようとしている人についてはそういう場に出るべきではない、と判断しているとコメントした。UStreamで中継されたものを見た。
 本来的に検察審査会による強制起訴議決についての問題(訴因の変更等)について質問したのはフリー記者の岩上だけで、あとのいわゆる記者クラブメンバーによる質問はそのあたりの根本的問題についての質問ができず、ただただ「なぜ説明の場に出てこないのか」という質問でしかないのは全くもって勉強不足であって、これは冗談ではなくて、彼等のジャーナリストとしての資質に大いに問題があるということを痛感した。

 国民の知る権利というものがあるのはわかるけれど、小沢一郎個人の人権という問題もある、これも考えて戴きたいということである。
 国民の知る権利と人権。過去にこういう立場に立ったことがないけれど、単に話題の中心になっているというわけではなくて、起訴されるということが確定している人間であるという状況を考えると人権を配慮するべきだと思う。
 一切喋るなということではなくて、政治責任というものはあると思うけれど、すでに起訴されることがわかっている人に対して、その裁判に関わるであろう事項について質疑するということは正しくないと思っている。
 国民の声に答えないのかという讀賣の質問に対しては、刑事裁判という場があって、そこでは具体的な証拠を持って説明しなくてはならない場が迫っている時にあって、それに応えろというのは検査審査会の方針でもないはずだとした。
 議決の瑕疵については弁護人としては調べている。訴因の変更等の問題があり、裁判所としても初めてのケースだろうし、かなり重要な問題があることは事実だ。刑事裁判の場合は訴因の変更といって、考え得るけれど、全く違う要件での裁判になってしまうことは許されてはいない。訴因の同一性という法律問題がある。実質的に検察なり、検審が判断した中身の問題があって、簡単ではない。
 この訴因の変更は強制起訴の要件を満たしていないと考えているけれど、だから大丈夫だと弁護人としては考えられることではないと考えている。
 漠然と「政治と金」の噂があるから人前で話をしろというのに対しては違和感を持っている。