ほぼ足りてまだ欲 その先

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どういうこと?

 BS-11の小西克哉+小沢一郎を楽しみにしていたのに、1時間ほど前に睡魔に襲われて寝てしまい、とうとう見損なう。寝ぼけ眼でテレビの音声をつけたらTBSの「NEWS23」になっていて、声から判断するに喋っていたのは岸井と立花隆であった。前から噂には聞いていたけれど、このふたりは一体全体何が問題なのかを指摘せず、ハナから「小沢一郎田中角栄からつながる悪」といい続けている。岸井に至っては「証拠なんてなくたって悪いんですから」といってきたという。
 いくらなんでもそれはない。彼ら二人が「小沢一郎がこれほどの悪である」という証拠を持っているというのであれば、それをマスメディアで公開しなくてはならないだろう。立花隆は「これで日本の政治のひとつの時代が終焉を迎えるわけだ」といって憚らない。
 だとするならば、なぜ検察は小沢一郎を表舞台で起訴することができなかったのだろうか。検察と小沢一郎の間に癒着があるとでもいうことができるのだろうか。それどころか検察は小沢一郎の秘書を務めた大久保と石川を起訴しており、これから法廷で対決する姿勢を見せている。これでその首領ともいうべき小沢一郎と癒着することなぞ誰が考えられるというのだろうか。
 今回の第五検察審査会の実態についてあの議決の後情報が公開されたのかといったらまったくされていない。ひょっとしたらあの第五検索審査会そのものが存在していないのかもしれない。
 立花隆は日本に冠たる霞ヶ関官僚組織こそが日本の戦後の歴史を作り上げてきたのであり、それを政治主導なぞと、そんな力も持ち得ない、ついこの前まで野党だった集団にそんなことができるわけがないと鼻先で笑う。だとしたら、そんな集団に政権を委ねた選挙民が何も知らない馬鹿だということになる。これこそまさに正反対の話で、そうした霞ヶ関官僚におんぶで抱っこの政権に胡坐をかいて、国民を騙してきたのが自公政権だったのではないのか。それを指摘するのであるならばまだしも、霞ヶ関官僚サマサマという見解にはあきれ果てるばかりである。
 立花隆週刊文春での「田中角栄研究」で名を馳せた。だから田中角栄小沢一郎とただ延長して見せただけだ。この時期に地味に田中角栄について著した保坂正康の新刊を一度手にとって見たらどうか。