ほぼ足りてまだ欲 その先

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時代

 かつて日本の造船業というのはドル箱だった時代があって、今の若い人たちにはとても想像ができないかも知れない。日本の造船業が世界のシェアのトップだった時代があった。あったといってもそんなに昔の話ではなくて、ホンの20-30年前のことだと書こうとして(いや、実際に書いているけれど)そりゃ随分前のことになるんだよ、と思い直した。長く生きてくると、そんな程度の時間はたいしたことじゃないと思えてくる。ま、そう思うようになったら歳をとったということだ。
 当時、韓国の造船業が黎明期を迎えていて、いよいよこれから大規模な生産拠点を建設して、日本の背中を見据えて立ち上がろうとしていた。当時、日本はアジアの先進国として(そして戦争でいろいろ迷惑を掛けた当事者として)アジア各国から中核の技術者を招いて日本の生産拠点で研修をして貰おうというような事業までしていたことがある。これは今良くある「研修・実習」に名を借りた外国人労働者の導入ではなくて、本当に勉強・研究をする時間を与えたのだ。だから、やってきたメンバーは、その後自国で、造船所の幹部になったり、海軍の技術将校になったりしていった。しかし、実は当時でも最先端の生産設備での研修はほとんど受け入れず、非常に普遍的な工場での研修だったから、彼らの中には不満に思っていたメンバーもいたはずだ。
 一方、日本の技術者の人たちの中には退職してから韓国にスーパーヴァイザーとか、テクニカル・コンサルタントとして雇われていった人たちが目につき始める。確かに生産設備さえあれば、船ができるかといったらそれはとても無理で、当時は現場での職人的技術もさることながら、どのような生産工程を構築するかというのは知恵の出し合い、競い合いだったから、そっちの重要性の方が相当に高かった。
 今日本の造船業はどうなのかといったら、どんどん会社が合併に継ぐ合併を重ねて、集約し続けるという終焉過程に入っているといっても良い。しかし、なくなることはない。どこの国でも、欧州でも、米国でも、必ず残っている。これだけの海に覆われている地球だから、船はいつでもどこでも必要だ。大半はその時一番効率的な拠点で造られるけれど、地産地消ということになる。
 しかし、(ここで大きな声になっている)、しかし、今の日本の造船技術は決して「時代遅れ」の技術ではない。産業として太刀打ちできなくなっているけれど、決して「時代遅れ」ではない。ここを間違ってはいけない。
 とかく、船に絡んだ人生を送った者は、それに対する愛着が執着となって、実にウェットな人生を送るようである。